「手帳にキッチリ予定を書いていた父が、だんだん会話が遅くなって…」。クリスマスソング『サイレント・イヴ』で有名な歌手の辛島美登里さんは、お父さんが74、5歳のころに認知症を患います。しかし、今から25年前は家族が認知症だと受け入れ難い雰囲気があって── 。(全3回中の1回)
当時は「認知症」を受け入れ難い雰囲気が

── クリスマスソングとして長年愛される名曲『サイレント・イヴ』を歌う、辛島美登里さん。辛島さんは鹿児島県の出身で大学卒業後に音楽活動をするために上京されました。その後、活動が軌道に乗っていくなかで、お父さまが認知症、脳梗塞を発症したと聞いています。まず、辛島さんからみて、お父さんはどんな方でしたか?
辛島さん:父は鹿児島県庁で働いていましたが、真面目でキッチリしていて、口数は多くなかったけれど優しい人でした。子どものころから怒られた記憶がほとんどないですね。私が中学生のころは、夜ふかしをして朝起きられなくて、母に怒られてワーって泣きながら学校に向かった日があったんです。その晩、父が帰ってきたら「寝坊しないように」と目覚まし時計を買ってきてくれたことがありました。
── とても優しいお父さんですね。
辛島さん:すごく優しかったです。派手さはなくて、どちらかという倹約家でそのぶん貯めていたのか、遠方への出張では奮発してくれました。お土産に洋服やアクセサリーを買ってきてくれるとか。休日には母と一緒にデパートに行って、両親ともにおしゃれさんだったので、父が母の靴やバックを選んであげることもよくありました。
私が小学生のころに父が単身赴任をしていた時期があって、父と月1回くらい文通をしていたんです。私が便箋に2枚手紙を書くと、父も必ず2枚書いてくれて。父は建築士でデッサンも上手だったので、今、建設しているビルはこんな感じだとか、庭はこんなふうに作っているって絵も描いて送ってくれたこともあります。私の音楽活動が安定してくると、父と母の3人でよく海外旅行もして、10か国くらい回ったのはいい思い出ですね。
── とても穏やかで良好な家族関係かと思います。しかし、お父さんが74、5歳くらいのころから認知症状が徐々に出てきたと聞いています。
辛島さん:手帳にキッチリ予定を書いてスケジュール管理をしていた父が、だんだん物忘れが出るようになって、会話をしても反応が遅くなってきたんです。同時に足腰が弱くなってきて、パンを買いに行っても歩いて帰ってこられないとか、様子が徐々に変わっていきました。私は東京に住んでいたので母から電話で話を聞いていましたが、電話をするたびに父の状態が悪くなっているし、話の内容からこれは認知症じゃないか、と思ったんですね。母にも「認知症かもしれないから、一度病院に連れて行ったほうがいい」と何度も伝えましたが「歳のせいだと思う」「たまたま勘違いが重なっただけよ」となかなか受け入れてくれず。今から25年前は、家族が「認知症」とは言いにくいような、家族も認めたくない雰囲気があったと思うので、母の気持ちもわかるんですけど。
その後、父が脳梗塞を発症して入院。脳梗塞が主症状のような形になって、認知症も受け止めざるをえなくなった感じです。