「ALSだった」帰京する新幹線から電話が

── 病気がわかったときは、どのようなお気持ちでしたか。
武藤さん:告知されたとき、私はそばにいなかったんです。ALS専門の先生を紹介されて、彼は両親と東北大学病院を受診していました。告知を受けたあと、彼が仙台から東京へ戻る新幹線の中から電話をくれて、「やっぱりALSだったよ」と。ただ、落ち込んだ感じではなくて、「まだまだ知られていない病気だから、ALSを知ってもらうためにがんばるよ」と決意表明をしていて。それを聞いて安心しましたし、「すごい人だな」と思いました。このとき、「彼と一緒にいれば大丈夫」という確信が持てました。
それから2か月後の私の誕生日に、彼からプロポーズをしてくれました。もちろん彼にも葛藤があったと思いますが、「絶対に幸せにする」と言ってくれました。一緒に泣いたこともありますが、彼は最後には絶対に立ち直って前を向く、強い人です。私は「この人とだったらやっていける」と思っていたので、迷いはなかったです。
そのころから、ペンやお箸が持ちにくかったり、シャツのボタンが留められなかったりして、私が身の回りのサポートをしていたので、「これが日常になるんだな」という覚悟はしていました。
「考え直したほうがいい」という声もあったけど
── ALSは進行性の病気です。不安はありませんでしたか。
武藤さん:私自身はありませんでした。でも、友達のなかには「考え直したほうがいい」と言う人もいましたし、一度は結婚に賛成してくれた母にも、あとから「やっぱり心配だから、もう一度考えてほしい」と言われました。きっと母なりにいろいろ調べたんでしょうね。
でも、私の気持ちは変わらなくて、「私なりによく考えて、それでも彼と一緒にいたい」という気持ちを伝えたら、「それなら応援する」と受け入れてくれました。彼の両親からは、「ありがとう」「よろしくね」と言ってもらいました。ありがたかったですね。
── ご家族にも祝福されて、ご結婚されたのですね。
武藤さん:2015年5月に、軽井沢で結婚式を挙げました。彼は、歩いて私をエスコートしてくれて、私の指に指輪をはめてくれました。「彼を精一杯支え、大切にします。どんな困難もふたりで力を合わせて乗り越えていきます」と私はみなさんの前で話しました。今思うと、このときはまだまだ覚悟がたりなかったのですが…。
結婚して一緒にいるからには、彼の心の支えになりたいと思いましたし、今もその気持ちは変わりません。ALSは治せるようになると信じているので、いつか「ALSを最初に治した人」になる彼を、これからもそばで支えて見ていたいと思っています。
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将胤さんの症状は徐々に進行し、現在は24時間サポートが必要な状態です。そんななか、ふたりは待望のお子さんを授かります。木綿子さんは、2歳になる娘さんの育児に専念。ALSの人向けの商品開発をしたり研究に参加したり、サーフィンや旅行を楽しんだりと、前向きに生きる将胤さんと支え合いながら、家族3人での生活を楽しんでいます。
取材・文/林優子 写真提供/武藤木綿子