現在放送中のドラマ『良いこと悪いこと』をはじめ、数々の話題作に出演するほか、TikTokショート「年齢確認VSプライド」で新たなファン層を獲得している俳優の赤間麻里子さん。30代は子育てを優先するなかで、役者の仕事ができない状態に苦しみもがいた時期があったそう。40代で役者の道がひらけたと思えば今度は乳がんを経験、「神さまに拒絶された」とまで感じたといいます。
「役者」と「母・妻」の間で揺れた30代…指針になった存在は
── 19歳で故・仲代達矢さん主宰の「無名塾」に入塾し、9年間研鑽を積まれたのち、28歳で先輩俳優の高川裕也さんとご結婚された赤間さん。3人のお子さんに恵まれ、30代は子育てを優先されていたそうですね。お子さんたちが小さいころ、仕事のことを考えてモヤモヤしたことはあったのでしょうか。
赤間さん:30代のころは、「自分は役者なのに仕事ができていない」というコンプレックスが、ずっと根底にありました。もちろん、家事や子育ては心から楽しんでいました。でも、役者としての自分の悩みをごまかすように、家事や子育てに逃げ道をつくるようしていた時期があったのもたしかです。「私、今はこんなに大変だから芝居なんかできないよね」と、自分に言い聞かせて。
当時はいつも、「役者でありたい」気持ちと「家事や子育てが忙しいんだから」という気持ちのあいだで葛藤していました。でも最終的には、いつも「本当は、バリバリ役者の仕事をやりたいくせに」って思っていた。30代の10年間は、そんな自分の本音をはっきり自覚すると苦しくてしかたがないので、ずっと無理やりごまかしていたようにも思います。

── そうだったんですね。ちゃんと子育てしたい、でも、バリバリ働きたいという葛藤を抱える女性は多いようにも思います。
赤間さん:大学のミュージカル科の同期が役者仲間の木村多江さんなんです。彼女は学生時代からスター性があって、そこにいるだけでクラスが一瞬にして明るくなるような存在でした。だから、私も、彼女は当然スターになるだろうなと思っていました。
2008年公開の映画『ぐるりのこと』で、多江さんが第32回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に選ばれたとき、すごくうれしかったけれど、同時に複雑な気持ちも抱えていました。「多江がこんなに輝いているのに、私なんて手もボロボロに荒れて、髪の毛もボサボサな自分が情けない」って。そう思ったかと思えば、「いや、そんなふうに思うなんて、子どもたちに失礼。情けなくなんかないんだ」と言い聞かせたり。そんなぐちゃぐちゃした気持ちになる自分が本当にイヤで。正直、もう二度と体験したくないほど苦しかったです。
── そうだったんですね。家事と子育てだけで1日があっという間に過ぎるくらい、やることはたくさんありますよね。
赤間さん:そうなんですよ。私は大学を中退して、仲代さんの「無名塾」に入ったけれど、ママ友のなかには、大学を卒業してバリバリ働いているキャリアウーマンもいるわけで。そういう人たちと比べて、「私は何も持ってない」と思っていました。「パートでレジすらうまく打てない自分って何なんだろう」みたいなもどかしさもあって。
でも、今思い返すと、あの30代はやっぱり、子育てをめいっぱい楽しめたいい10年だったんですよね。私、子どもたちの世話は全部、自分でみたいと思っていたんです。運動会も参加できたし、PTAもできたし、子どもが小学生のときには10年間、読み聞かせもできました。悔いなく子育てができた。目の前のことを一生懸命やることが大事なんだなってすごく思います。
──「仕事をしたい」という気持ちとの葛藤も大事だったと。
赤間さん:そうですね。そう思うと、そんな30代の自分にとって、多江さんの存在は大きな「指針」になっていたと思います。「彼女がいたから私も頑張れるかもしれない、と思えた」と断言できるくらい。彼女がいたから、役者としての自分と比べることもできたと思うから。今でも第一線でバリバリ活躍している彼女が誇らしくもあり、ありがたい存在です。