仲代達矢さん主宰の「無名塾」の出身で、話題作にも次々出演している俳優の赤間麻里子さん。28歳のとき、8歳年上の同じ塾生だった先輩俳優の高川裕也さんと結婚、3人の小宝にも恵まれました。経済的に厳しい時期がしばらく続いたそうですが、「つらい記憶なんて全然ない、楽しかった思い出ばかりなんです」と語ります。

「給食費払えます」副校長に報告すると「よく頑張りましたね」

── 8歳年上の無名塾・先輩俳優である高川裕也さんと28歳でご結婚後、ご長男、ご次男、ご長女と3人のお子さんに恵まれました。経済的に厳しい状況のときもあったそうですね。理想と現実の違いを感じたことはありましたか。

 

赤間さん:私はもともと「結婚しないだろうな」と漠然と思っていて、結婚に対する理想をまったく抱いたことがなかったんです…。ただ、いざ結婚をしようとなったとき、役者同士で結婚する以上は苦労するだろうなとは思っていました。それでも、2人が芝居を辞めないですむ状況だけは頑張ってつくりたいと思っていて。どちらかがどちらかのための我慢をして、芝居を諦めるのは絶対にイヤだったんです。

 

だから、どんなにお金がなくても、私から夫に「定期的にお金が入る仕事をしてほしい」とは絶対に言いませんでしたし、同じように夫から「芝居を続けたいからパートの仕事をしてほしい」と言われたこともなかったんです。お互い、無名塾で切磋琢磨していたので、覚悟を持って結婚していたと思います。「お互い頑張ろう」という気持ちが根底にありました。

 

赤間麻里子
現在は歌手を目指しているという長女とぶどう狩りを楽しむ赤間さん

── お子さんのサイズアウトした服を公園で売ったこともあったとか。

 

赤間さん:そうなんです。たまたま「フリーマーケットをやります」っていうチラシを見かけて、子どもたちと一緒にやりたいなと思って。「(売ったお金で)おいしいご飯を食べに行けたらいいね」くらいの気持ちでした。近所の公園で子どもたちの洋服を並べて、お店屋さんごっこをする感覚でやっていました。小銭を数えたり並べたり、いろんなサイズの紙袋を用意したり。そういうことが全部、すごく楽しかったんですよね。

 

そこに、たまたま通りかかったママ友たちがみんな「えっ?」って、びっくりした顔をしていて。冬で寒い日だったから、あったかい缶コーヒーを買ってきてくれたりして。もしかしたら、まわりの方たちには、「あのおうち、(お金がなくて)大変なのね」って思われていたのかもしれません。いっぽうの私は「かわいそうって思われてたのかな?私はこんなに楽しいのに」っていう気持ちでしたね。とはいえ、当時からそういう周囲の対応も全然、気にしていませんでした。

 

ただ、「追いだき機能つきのお風呂がある家に住みたいなぁ」とは思っていましたけど(笑)。

 

── 当時、ご自宅のお風呂には追いだき機能がついていなかったんですね、それはけっこうつらいかも。

 

赤間さん:そうなんですよ。ガスコンロも2口しかなかったし。3口あると助かるんですけどね(笑)。今思うとすっごく狭い家だったんですが、自宅が狭いという自覚がまったくなくて。ママ友とかも普通に自宅にお招きしていて、招かれたほうが「あの、どこに座ったら…?」って戸惑っていましたね。あるママ友の家に遊びに行ったときに、初めて「あら!家、広い…!」と思ったことはよく覚えています。

 

── 人と自分の境遇を変に比較することなく「家、広い」で終わらせられるって素敵です(笑)。

 

赤間さん:当時は、お金がないとかつらいとか思ったことすらなくて。だいたいのことが楽しかったんですよね。そういえば、給食費が払えない時期もしばらくありました。世帯の収入によって給食費の額が違っていたんですけど、所得がいちばん低い水準の世帯は無償だったんです。それでしばらくうちは無償でお願いしていたのですが、子どもたちが進級するたびに申請する必要があって。ある日、副校長先生から電話があり、「明日が申し込みの締め切りだから、早めに提出をお願いしますね」って言われたんですね。

 

当時、夫婦で少しずつ役者の仕事をいただく機会が増えていて、ようやく支払えるようになって。「先生、うちもう給食費払えるようになりました!」って報告したんです。そうしたら、先生も喜んでくださって。「よかったですね!よく頑張りましたね」と電話口で褒めてくださったんです。それが本当にうれしくて、私、泣いちゃって。泣きながら「今まで、子どもたちに給食を提供していだだきありがとうございました」ってお伝えしました。