14年ぶりに再会した父はハリウッド俳優だった
── お母さんとの事件があり、高校卒業後はどうされたのでしょうか?
ユージさん:アメリカに行きました。後で母の計画だったと知ったのですが、当時ひとり暮らしをしていた僕の家に、母の知り合いで占い師だと名乗るおばさんが訪ねてきて、僕にアメリカ行きのチケットを渡したんです。いま考えるとめちゃくちゃ怪しいんですけど、当時の僕は母とのことも生活のことも、感情がぐちゃぐちゃで将来が見えなくて疲れていて。チケットをもらえるならちょっと行ってみようかな、という感覚になり、アメリカに渡りました。そしたら空港で父親が待っていたんです。14年ぶりの再会でした。
── 占い師もお父さんも、お母さんが仕組んだことだった?
ユージさん:そうです。僕が母の言うことは聞かないだろうとわかっていたので、知り合いに頼んでアメリカに行くように仕向けて、父にも連絡を取っていたんです。
── 空港で、お父さんのことはすぐにわかったのですか?
ユージさん:自分にそっくりな、でっかい僕みたいな男の人がいたので、絶対に父だと思いました。アメリカでのことは何も決めていなかったけれどあまりお金を持っていなかったので、滞在費が浮くと言われてそこから父の家でしばらく一緒に暮らすことになりました。すべてを英語で会話をするのは小学生以来でしたが、意外と覚えていてコミュニケーションには困りませんでした。
── 14年ぶりに再会したお父さんとのふたり暮らしが始まったのですか?
ユージさん:父は仕事仲間と大きな家を借りて3人でルームシェアしていて、そこに僕も加えてもらいました。そこで初めて知ったのが、父親の職業がハリウッド俳優だということ。ルームシェアしていたのも役者仲間でした。5歳で日本に来てから父の顔も見ていないし、仕事もよく知らなかったので、まさか俳優をしていたとは驚きました。
── お父さんとのアメリカ暮らしはどうでしたか?
ユージさん:楽しかったです。父は少年っぽさを残している人で、スポーツを愛していて、一緒に野球やサッカーをしたりジムに行ったり、ときには撮影現場に連れて行ってくれたりもしました。カメラの背後から父の演技を見て、何も知らずに自分も俳優の仕事を始めていたことに運命を感じました。
父とは、僕も日本で映画に出たことがある(2003年・オダギリジョー主演『アカルイミライ』)という話をして、アメリカとの撮影方法の違いを話すこともありました。何より、僕の見た目がヤンキーだろうが何だろうが、怒られることもないから楽しかったんです。アメリカにはいろんな人種や格好の人間がいて、僕の眉毛がどれだけ細くても、パンチパーマでイカついかっこうをしていても、怖いとは思われない。それもひとつの個性として受け入れてくれるから、居心地がよかったです。