「名前いじり」がいじめに発展 無力感でいっぱいに
── 小学3年生から日本の小学校へ移ったのはなぜですか?
ユージさん:退学になっちゃったんですよね。
── 小学生で退学ですか?
ユージさん:そうなんです。実はインターナショナルスクールでは勉強ができるほうだったので、1年飛び級で進んでいたんです。幼稚園年長から小学校に通い、同級生が小学生になった段階で2年生のクラスに入ったんです。でも中身はまだ幼稚園児と変わらないから、授業中最後まで座っていられないし、集中力が持たない。学校からは「ほかの2年生に迷惑だから、本来の学年に戻ってくれ」と言われました。
僕は飛び級していたことにプライドがあったので、それに対して「絶対にイヤだ」と主張したことで退学せざるを得なくなったんです。日本の小学校に転入すると飛び級の効果はなく、もう一度小学1年生からやり直しなので、それを避けるために1年間アメリカのおばあちゃんの家に預けられました。アメリカの小学校で2年生を経験してから、日本の小学校で本来の年齢に合った3年生になるわけです。
── そこで初めて日本語ばかりの環境になるわけですね。
ユージさん:そうなんです。周囲が何を言っているかまったくわからず、会話できないし相当大変でした。僕の名前が「トーマス・ユージ・ゴードン」といってアニメの機関車みたいな名前なので、「機関車じゃん!」とまず名前でからかわれました。当時は『機関車トーマス』を知らなかったし、何でからかわれているのかもわからなかったです。でも、何となく笑い者にされているな、バカにされているな、と感じて嫌悪感は抱いていました。そんな環境で友達ができるわけもなく、周囲はみんな敵だと感じていました。
── お母さんには何か相談されたのですか?
ユージさん:うまく相談できなかったんですよね。母は当時、自分の会社を経営し、僕を育て、教育費を稼ぐために必死だったので、ほとんど家にいませんでした。夜、帰宅しても僕にごはんを食べさせたら仕事に戻るような生活でしたから。
というのも、私立の小学校に僕を通わせていたからなんですよね。インターのときと同様、お金はかかっても私立がいいと母親が思っていたから、学費を稼ぐのに精いっぱいで生活は楽ではありませんでした。周囲の子どもが持っているようなゲームも買ってもらえず、ひとりっ子で友達もいないから帰宅しても遊び相手はいなくて、折り紙や工作をして暇をつぶすような毎日でした。困ったことがあっても相談できる人もいないですしね。
── 日本語がわからないと、学校の授業も理解できないですよね。
ユージさん:理解できないし、宿題もわからないし、先生に怒られてばかりでした。それまで飛び級するほど勉強ができていたのに、小学校3年生から急にクラスでいちばん勉強ができない子になりました。日本語が話せないジレンマ、友達ができない葛藤、勉強ができない劣等感、そんな感情ばかりでした。当時は体も小さく運動しても負けてしまうし、自分は何もできないという無力感でいっぱいでした。