登山家の野口健さんを父に持つ大学3年生の絵子さんは、国内外でボランティアに励んでいます。「遠いところの話には思えない」と語る幼少期の経験が活動の原点だそうで──。
小1で見た被災地の光景「水色の看板しか色がなく」
── お父さんで登山家の野口健さんと幼少期から登山を始め、キリマンジャロやヒマラヤなどにも登頂しています。そのかたわら、国内外のボランティアをはじめとした社会貢献活動をされていらっしゃいますが、活動を始めるきっかけはなんでしたか。
野口さん:小学校2年生の冬に、東日本大震災で津波の被害を受けた東北の沿岸部を父と一緒に訪れました。

小さかったので、私自身が何かボランティアを活動するというより一緒に連れていってもらっただけでしたが、あのとき見た光景が今でも忘れられません。震災から約1年経っていたのですが、周りは何もなくなっていて。ビルがぽつんと残っていて、そのビルの上にあった水色の看板が印象に残っています。あたり一面何もなく、その水色の看板にしか色がありませんでした。
その光景が忘れられなくて、家に帰ってすぐ絵を描いて。幼心に、日常を突然奪ってしまう災害というものが、遠いところの話には思えなくなりした。少しでも誰かの力になりたいとの思いで、私も活動に加わるようになり、熊本地震や能登半島地震ではボランティアで被災地に入りました。
── どのような活動をされたんですか。
野口さん:避難所に寝袋を届けたり、テントを作ったりしました。能登半島地震は元日の寒い時期に起きましたし、避難所となる体育館などの床は冷たく、その上で寝るというのは相当寒いと思います。私たちは登山の際に寝袋に助けられているのですが、あたたかい寝袋で寝るとリラックスできて疲れが取れますし、体が休まらないと、精神的にもストレスがかかります。テントも寝袋も登山から生まれたアイデアなのですが、避難所ではスペースが限られていて、お互いに遠慮する気持ちもあると思うので、プライバシーを保ちながら少しでもみなさんが心身ともに休める空間を作ってほしいという思いがありました。

── ボランティア活動を通してどんなことを感じましたか。
野口さん:被災地で活動するたびに、自然災害への恐怖というものは大きくなるのですが、怖さを感じることが悪いことではないと、だんだんと思い始めています。怖さを知っているからこそ、いざというときの備えもできますし、実際に自分の身に起きたときにどうしようと考えるきっかけにもなります。
ボランティアに入った場所で、「もしそっちで何かあったら必ず助けに行きますね」と声をかけてくださった方がいたのですが、日本はいつどこで災害が起きるかわからないので、お互いがお互いに支え合う必要があると感じています。
被害が大きいほど、ほかの地域からの助けが必要になりますし、助けに入った場所で経験したことが、自分の住む場所で実際に災害が起きた場合への対処について学ぶ機会にもなります。被災地でのボランティアは、ある意味で自分のためにもなると思っています。友人を誘ってボランティアに行くこともあるのですが、実際に経験しないとやはりどこか人ごとという感覚があると思うので、周りをどんどん巻き込んでその意識を少しでも変えていきたいと思っています。