楽しかったボウリング体験「目標が見つかった」

── その後、過食症を経験し、中学生のころには再び学校へ通うようになったんですよね。ボウリングとの出合いはこのころですか。

 

安藤さん:過食を経て、今度は拒食に向かい、中学生になっても入退院を繰り返していました。ただ、このころは家族で「私がやりたいことや好きなことは何でもやろう」と、話してくれて。それがボウリングだったんです。私が初めてボウリングを体験したのは3歳くらいのときで、家族や親せきと行った旅行先でのことでした。

 

その思い出がなぜか心に残っていて、近所のボウリング場に家族で行って投げたら、すごく楽しかったんですよね。体力は「投げる力がまだ残っている」程度だったはずなのに、20ゲームくらい投げても楽しさが勝って、体のしんどさを感じなかった。私の病気で家族も疲弊し、悩み、先の見えないトンネルにいたなか、ボウリング場に行ったときはみんな笑顔でいられて、私にとっては幸せな時間でした。

 

それから毎日のようにボウリング場へ通うようになったのですが、そこでプロボウラーが指導するジュニア教室の案内を見つけたんです。その教室に足を運んだ際に母が「いま、娘は学校に行けていないんです」と、私のことを説明してくれました。そうしたら「ボウリングなら16歳からプロになれるから、そんなに好きなら目指してみてはどうですか?」と、言ってくれたんですよね。

 

病気があって学校に行けず、学生としての楽しみを見い出せなかった私に居場所を提案してくれたように感じました。それをきっかけに「プロボウラーになろう!」と決めて。「これが私の天職」と、揺るぎない夢を見つけた感じでした。

 

── これまで闘病生活が中心だったところに、「やりたいこと」が見つかったのですね。

 

安藤さん:母が先生をしていた書道も幼いころから一生懸命やっていたんですけど、芸術の世界は判断基準が人によって異なります。私自身は自分の作品を誰よりもうまく書けていると思っていても、他人からは評価されなかったりする部分に、納得がいかなかったというか…。

 

いっぽうで、ボウリングは自分が投げたボールがすべて結果に現れます。努力して結果を出せば他人からも評価されると思えたんです。基準が明確だということも、魅力に感じました。現在はプロボウラーになって、ボウリングトーナメント番組『ボウリング革命 P★League』にも出演。2024年には関西オープン6位入賞など、実績を積みながら活動を続けています。これからも摂食障害のつらさや経験を世の中に伝えつつ、プロボウラーとして結果も出し、ファンから愛される存在になっていけたらと思います。

 

取材・文/高田愛子 写真提供/安藤 瞳