不安定なプロの道も、不安はまったくなかった
── 当時、中村憲剛さんは川崎フロンターレのテスト生として練習に参加されていましたが、まだプロサッカーチームへの入団が決まっていない状況です。不安などはありませんでしたか。
中村さん:大学4年生のときにテスト生として練習に参加していて、正式に入団が決まったのはかなり遅かったんです。ただ、不思議と「もしダメだったらどうしよう…」という不安はなかったんです。大学を卒業して主人が正式に入団した後、私は海外に留学したんですが、もともと私自身がキャリア思考で働きたいという気持ちが強かったですし、もしクビになったら私が働いて稼ぐくらいの気持ちでした。
── その後、24歳のときにご主人と結婚されます。アスリートの健康管理などは大変だったと思いますが、ご主人が現役中は日ごろどんなことを心がけていましたか。
中村さん:1日のスケジュールがだいたい決まっていたので、それが崩れてストレスがかからないように注意していました。朝は決まった時間に練習に行って、午後3時くらいに帰宅。その後、お風呂に入って午後7時くらいに夕食を食べて…とか。とくに、試合前日は極力、主人が動きたいスケジュールに合わせていました。
── 結婚して4年目には第1子の長男、その2年後には長女、そして2016年には次女が誕生しました。上の2人のお子さんは年齢が近く、お子さんの子育てもあり、大変だったのではないでしょうか。
中村さん:子どもが風邪をひいたりしたときは大変でしたね。上の2人はほぼ年子で年齢が近かったので、小さいころは目が回るぐらいの忙しさで。でも主人のルーティンも崩せないし。
── ただでさえ両立は大変ですよね。そんなときはどのように対応されていたんですか。
中村さん:最初のころは主人が子どもの風邪をすぐにもらってしまって結構、大変だったんですね。それで子どもたちが体調不良のときには生活スペースを主人と私たちで完全に分け、衛生管理をとにかく徹底して対応するようにしました。子どもや私が風邪を引いてダウンしたときは、主人がチームの寮に避難してお世話になったこともありました。