「SNSがない時代だったので、人と繋がるには会うしかなかった」。90年代後半、渋谷を中心に極端に黒い肌と派手なメイクで話題になったヤマンバギャル。中心人物の1人だったあぢゃさんは当時、学んだコミュニケーションが今に生きていると語ります。

反抗期で高校時代は渋谷に入り浸っていた

あぢゃ
あぢゃさん七五三のときに家族と

─ 黒く焼けた肌に、目の周りを白く囲んだ奇抜なメイク。90年代後半、「ヤマンバギャル」は渋谷の街で強烈な存在感を放ちました。宮下公園に寝泊まりし、センター街でパラパラを踊り、200人の観客を集める。そんな彼女たちの中心にいたのが、現在タレントで3児の母でもある、あぢゃさん。そもそも渋谷で過ごすようになったきっかけはなんだったのでしょう?

 

あぢゃさん:小学校のときから、できのいい2つ上の姉と比べられることが多かったんです。塾や家庭教師をつけられていやいや勉強するけれど、中学受験はすべて落ちてしまって自信を無くして。実家は夜にお酒を飲むクラブを経営していたので両親ともに忙しく、甘えたい時期に構ってもらえなくて、自分の気持ちの持っていき方がわからなかった。親の目をこちらに向けたくて反抗的になって、中学でグレ始めました。高校は通学に渋谷を経由していたので、みんなで集まるのはいつも渋谷。高2で退学してからは、家にはほとんど帰らず、渋谷に入り浸ってました。

 

── 高校を辞めることになったのは、なぜでしょう?

 

あぢゃさん:1年生のときは無遅刻無欠席で皆勤賞を狙うくらい頑張ってたんです。でも、高校生になってどんどん見た目が派手になっていって、2年生のときに先生に目をつけられて。真面目そうな子に消しゴムを借りたり、電話ボックスで10円借りるだけで「恐喝だ」と言われたりしたんです。

 

そういうことが積み重なって、嫌になってしまって。母を中2で亡くし、父は夜の仕事で家にいない。家に帰る理由もなくて、ほとんど渋谷にいました。そうしたら往復の電車賃がもったいなくなって、結果、ヤマンバ仲間10人くらいで宮下公園に寝泊まりするようになったんです。