バラエティ番組出演の際に出した条件はひとつ

以前、バラエティ番組への出演をテレビ局から打診されたとき、風岡さんが出した条件はただひとつ。「この町を撮影の舞台にしてください」というものでした。

 

「僕が生まれたのは芝川町(現・富士宮市)で、富士山麓の豊かな自然に恵まれたところです。ただ地方の田舎の例にもれず、過疎化が進み、人口は減るばかり。そんな場所に撮影隊が来て、派手な僕の姿とともに各所の映像がテレビに流れると、みんな喜んで活気づくんですよ。住民以外であれば、この町を訪れたいという人も出てくるでしょう。町を撮影の舞台としたのは、地域貢献のひとつなわけです」

 

地元愛が強い風岡さんには、いまも忘れられない苦い経験があります。10年ほど前、伐採した竹を使用し、竹灯籠を作って灯をともすイベントを思いつきました。風岡さんが主導し、父親とふたりで竹をカットし、ドリルで竹に穴を開け、蝋燭の光がもれるようにした約1200個の竹灯籠ができあがりました。

 

風岡直宏
地元愛は昔から。地元を盛り上げる竹灯籠イベントを企画し、ひとり制作に励んだ

「イベント当日は多くの住民が参加し、竹灯籠からもれる灯りの幻想的な風景に声をあげて感動していました。僕自身も涙が出るほどでしたよ。新聞社の取材もあり大成功に終わり、来年も『竹の町・芝川』と謳った目玉イベントにして観光にもつながると思っていたのですが…。

 

イベントを視察した当時の町のある議員がこうつぶやいたんです。『これを来年もみんながやりたいと言ったら困るなあ』と。自分に関係する行事が増え、仕事が多くなることを嫌がっているのだと僕は受け取りました。町の繁栄を第一に考えるべき人なのに…。非常にショックで残念でした」

 

結局、1回だけの催しとなって終了。当時感じた憤りは消えないままだといいます。

 

「自分は町のために何ができるのか。タケノコ農家引退を見据え、改めて思案したとき、テレビの世界に行き着きました。農家タレントという新たな道を切り開き、自分の町だけでなく、日本の農家全体を盛り上げる覚悟でした。竹灯籠イベントで胸に刻まれた憤りが、その原動力になっています」