お芝居以外の仕事を経験すべく、ワーキングホリデービザを利用して海外生活を送っていた福田麻由子さん。「人生でいちばん働いた」と振り返る海外での生活ぶりを伺いました。
海外生活は朝から晩まで働き詰め
── 2022年の終わりに芸能活動を一時休止すると発表したのち、長野県の白馬村にあるホテルととんかつ店で働いていました。その後2023年からニュージーランドで海外生活を送りながら働いていましたが、向こうは季節が真逆で体調などは大丈夫でしたか。
福田さん:日本の冬がニュージーランドの夏で、真夏のクリスマスを初めて経験したのがおもしろかったです。大きなトラブルはまったくなく仕事を休むこともありませんでした。

クリスマスの時期は観光客が多くて街全体が盛り上がり、仕事も忙しかったです。暑い時期なのですが、街中で行うクリスマスパレードに登場するのは雪だるまなんです(笑)。まったく雪なんて降っていないのに、これは一緒なんだなと。
── ワーキングホリデーとして滞在していたと伺いましたが、どんな仕事をされていましたか。
福田さん:ニュージーランドではモーテル(車で旅行する人向けに駐車場を備えた宿泊施設)とレストランを掛け持ちして働いていました。私と同じくワーキングホリデーに来ている子に話を聞くと、2か月くらいで職を転々としている人が多かったのですが、私は半年間同じところで働いていました。最初は英語もあまり話せず、下っ端という感じだったのですが、半年経ったころには新しく来た子に教える立場になっていました。
── 仕事を掛け持ちする1日のスケジュールはどんな感じでしたか。
福田さん:モーテルには朝9時半ごろに行って、そこから掃除を始め、お客さんのチェックインが始まる15時まで雑草取りやペンキ塗りなどをして働いていました。そのあとまっすぐレストランに向かって、ホールの仕事をして。忙しいときは夜10時ごろまで働いていました。
── 働き詰めですね。
福田さん:人生でいちばん働いていた期間だったかもしれません。繁忙期は「まゆ、ここもシフトに入れる?」と聞かれて、気づいたら働きまくっていました。働くということもそうですが、私にとっては同じ場所に毎日通うというのが初めての経験でした。
子役から芸能の仕事を始めたので学校に毎日は通えなかったですし、お芝居メインで生きてきたので、毎日規則正しく同じ場所に行くということがなくて。「自分にもお芝居以外の仕事ができるんだ」という自信になりました。ある意味、淡々とした日々ではありましたが、毎日をコツコツ生きるという経験が自分には新鮮でした。
── 接客で人と話す機会が多いと会話の力がつきそうですね。
福田さん:二十歳ごろに英語を勉強しようと思ってオンラインで学んでいたこともあったのですが、ぜんぜん身につかなくて。でも接客となると話すしかありません。最初は食事をお客さんに運んだり、お皿の片づけをしたりするところから始まって、「そろそろ注文を取ってみる?」と言われ、テーブルの担当をしはじめました。
向こうはチップの制度があって、自分が担当するテーブルのお客さんを接客する仕組みです。最初はあまりお客さんが入らないエリアから始めて、だんだん団体客が入るような忙しいエリアを担当するようになりました。
働いていたレストランが観光地にあって、いろんな国から来たお客さんが来る店でしたし、海外の方は日頃からたくさんコミュニケーションをとるので、毎日いろんなことを聞かれます。「あなたはどこから来たの?」「これとこれはどっちのボリュームが多い?」。最初のころは英語が出てこなかったので、かなりごまかしていて(笑)。「たぶんこうだけど、でもおいしいと思う!」と、もう適当ですね。きっと文法もメチャクチャだと思うのですが、とりあえずコミュニケーションを取れるまでにはなりました。最終的にお客さんが楽しく過ごせたらいいなと、自分なりに話していたら結構伝わるものだと思いました。