鶴瓶さんからもらった最高の褒め言葉

── 探求心が尽きませんね。プロとして活動をスタートしてから、今年で30年になります。そもそも、ものまねの道に進んだきっかけはなんだったのでしょう。

 

コージーさん: 18歳からトヨタの自動車工場で5年間働いていました。運搬の仕事をしながら、鶴瓶師匠の顔芸をやってみたり、ネタを考えたり。ものまねが好きでたまらなかったんです。22歳のとき、テレビ東京のものまね番組に応募して初めてテレビ出演。東京に芸のパフォーマンスができるショーパブがあると聞いて「やってみたい!」と心が躍りました。1年悩んで、23歳で上京。それからずっと、ものまね一筋です。

 

── ブレイクのきっかけは?

 

コージーさん:30歳のころ、「タモリさんのものまねできますか?」と、ある番組から声がかかって。サングラスとカツラをつけて練習してみたけど、どうもしっくりこない。そんなとき、楽屋で浜田省吾さんのものまねをしていた谷村仁司さん(谷村新司さんのそっくりさん)の顔を見てハッとしたんです。サングラスをして眉毛をあげ、鼻の下を伸ばして歌うその表情が一瞬、タモリさんに見えて「これだ!」と。そこからタモリさんのものまねが完成し、その後、さんまさんのものまねをしている原口あきまさくんと共演したら話題になり、テレビ出演が一気に増えました。

 

── ご本人の前で披露することもありますよね。あれは緊張しませんか?

 

コージーさん:そのときは絶対にウケなきゃいけない。でないと、本人に気をつかわせてしまいますから。だから、その人の背景まで調べて、何度も練習し、体に落とし込むんです。家族構成や日常のクセまで。そうでないと、ものまねの「真似」みたいな薄っぺらさが出てしまう。それは相手にも失礼ですからね。

 

本気でやっているうちに、その人が乗り移ってくるような感覚になることがあるんです。あるとき、楽屋で鶴瓶師匠のまねでアドリブを話していたら、師匠が楽屋をのぞきこんで「俺の日常、見てたんか!?そういえばこの間、そんな話してたわ」って。あれは最高のほめ言葉でしたね。

 

 

糖尿病の合併症で視力を失い、いまは光を感じる程度。それでもコージーさんは、舞台に立ち続けています。リハーサルでは「何歩で階段にたどり着くか」を体で覚え、笑い声を頼りに客席の反応をつかむ。見えなくなってからは、「声の個性」を聴き分ける力がより研ぎ澄まされました。そんな日々を支えているのが、長年連れ添う妻の存在。コージーさんの目の代わりとなって寄り添い、二人三脚で暮らしを重ねています。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/コージー冨田