36歳で出産「仕事を辞める選択肢はなかった」

── イタリアで5年半ほど暮らした後に、日本に戻られたんですね。
小川さん:はい。29歳のときに日本に戻りました。日本にいた知人から、アパレル事業でイタリアの服を買いつける仕事をするので手伝ってほしいと誘われたんです。文化服装学院を卒業していたこともあり、ずっと洋服に関わる仕事がしたいと思っていたので、やりたいと考えて帰国しました。
川合さんの事故から6年が経っていたので、日本でも私のことは忘れられているだろうと思いました。帰国後はアパレルの仕事に携わり、取引先をイタリアに案内したり、会社が運営するお店の店長も務めました。マスコミに追われることもなく、逆に私が広報として仕事をする際にはマスコミが取材に来てくれて、メディアでも取り上げてもらえました。宣伝にもなり、お互いにwin-winの関係を築けたように思います。
── イタリアでのご経験もいかされながら働かれたんですね。
小川さん:とてもやりがいのある仕事で、そこから60歳の定年まで続けました。パートナーができて36歳のときに子どもが生まれ、シングルマザーとして働きながら子育てもしました。大事な展示会のときに子どもが熱を出すこともありましたが、両親に助けてもらいながら乗りきりました。
仕事を辞める選択肢はなかったです。両親をはじめとする周りの方々に助けてもらいながら、仕事と育児を両立しました。働くことが好きだったので、子育てをしつつ最終的に定年まで勤めることができました。
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夫の死を乗り越え、イタリアで自分を取り戻した小川ローザさん。帰国後はアパレルの仕事に打ち込み、シングルマザーとして働きながら定年まで歩み続けました。そして60歳を迎えた彼女は、また新しい世界へ。「介護」という第二の人生を始めたのでした。79歳になった現在は現場仕事からは離れたものの、現在もシルバーモデルの仕事と並行し、介護施設で働いています。
取材・文/大夏えい 写真提供/小川ローザ