悲しむ暇もないほど生きることに必死だった
── 知人がいるとはいえ、急に移住するのに勇気はいりませんでしたか?
小川さん:そうですね、それほど日本を離れたかったのだと思います。ミラノでは、知り合いの日本人の方やそのお友達のイタリア人の方たちが、とても大切にしてくれました。夫を亡くしたばかりだということも理解してくださり、毎日のようにホームパーティーを開いてくれたんです。食事がずっと喉を通らない状態でしたが、ミラノでみなさんが優しくしてくれたおかげで、少しずつ食べられるようになっていきました。
── よかったですね。
小川さん:日本にいたときは毎日泣いていました。当時、私はお酒がまったく飲めなかったのですが、事故の後から眠れなくなったので、睡眠前にお酒を飲んで寝ていました。イタリアに来てからは悲しむ暇もないほど、生きることに必死でした。言葉もわからず、文化も違う土地で必死に過ごすうちに、少しずつ眠れるようになり、元気も戻ってきました。
体調が回復したころには、友人の仕事の手伝いも始めました。忙しくなるにつれて泣く時間が減り、気持ちがだんだん落ち着いていったのを覚えています。
── イタリアではどのように過ごされていたのですか?
小川さん:まずは元気になることを最優先にしました。そのなかで、イタリア語を習得するために語学学校に通ったり、現地で知り合った日本人の方々のお仕事のお手伝いをしていました。現地で開催された展示会で日本人スタッフとしてお客さんを案内する仕事です。語学学校はペルージャという都市にあったのですが、マスコミに写真を撮られてしまい、途中で辞めることになりました。