彼を棺に載せて帰る道のりが長く感じた

── 結婚して間もなく、川合さんが不慮の事故に遭われます。当時の状況を教えてください。

 

小川さん:結婚して6か月ほど経ったころ、日比谷公会堂で行われるイベントにゲストとして呼ばれました。会場に向かっている最中、スタッフの方から『レース中の事故で川合さんが亡くなった』と聞きました。頭の中が真っ白になり、言われるまま車に乗って鈴鹿へ向かいました。

 

鈴鹿で息をしていない川合さんに会ったときは、精神的に本当に混乱していて、何も覚えていません。ただ、彼を棺に載せ、鈴鹿から実家のある東京まで運んでいる道のりが、とても長く感じたことだけは覚えています。

 

── その後はどうされたんですか?

 

小川さん:気持ちの整理がつかないまま、葬儀などやるべきことが次々と押し寄せました。食事も喉を通らず、葬儀までの数日間で体重は46キロから37キロまで落ち、立つのもやっとでふらつく状態でした。

 

そんな中、友人のヘアメイクさんが来てくれて、葬儀の着つけやメイクを助けてくれたおかげで、なんとか葬儀に出席することができました。葬儀場に押しかけるメディアを見たとき、『ここで絶対に泣いてはいけない』と思い、気丈にふるまいました。いろいろな感情が押し寄せていて、当時の記憶はそれくらいしか残っていません。

 

誰も知らない場所に行って、泣きたいときに思いきり泣きたい。川合さんが亡くなって3か月後には、日本を離れ、知り合いに紹介してもらったイタリアへ単身移住をすることに決めました。川合さんとの思い出が多すぎるので、当時はただ日本を離れたかったんです。日本を離れる決心をしました。

 

 

夫の死後、小川さんはすべてを置いて日本を離れ、イタリアへと旅立ちます。異国の地で疲れ果てた心身を癒しながら、語学やデザインを学び自分を立て直していきました。そして、イタリアでの仕事を経て、日本に帰国後は定年まで働く道を選びました。

 

取材・文/大夏えい 写真提供/小川ローザ