先天性の軟骨無形成症により手足が短い特徴があり、現在は「身長115センチの小さなモデル」として活躍する後藤仁美さん。両親からずっと「あなたはそのままで完璧だよ」と言われ続けたそう。その言葉が自信となり「小さい体のわたしだからこそ、できることがある」と思えたと言います。
「自分はほかの子と違うの?」母の答えは
── 後藤さんは先天性の軟骨無形成症による低身長で身長は115センチ。特徴のある体型を前向きにとらえ、モデル、俳優、イラストレーターなど、さまざまなジャンルで活躍されています。後藤さんが軟骨無形成症だとわかったのはいつごろだったのでしょうか?
後藤さん:母のお腹の中にいたとき、医師から「赤ちゃんは、なんらかの障害があって小さい子だろう」と、両親は言われていたようです。軟骨無形成症とわかったのは生まれてからでした。両親はわたしが人とは違う体型であることを、ネガティブにとらえないよう育ててくれました。「仁美は小さくてかわいい」とずっと言い続けてくれて。わたし自身が「自分はほかの人と体型が違う」とはっきり自覚したのは、幼稚園の卒園アルバムで自分自身の姿を見たときでした。
軟骨無形成症の人は低身長なのですが、胴体の大きさは一般の人と変わらず、手足が短いという体型の特徴があるんです 。アルバム写真を観たときに「ほかの子は手足が長くてすらっとしているけど、わたしは違う。どうしてだろう?」と、子どもながらに不思議に思いました。
── そのときは、誰かにその疑問を伝えましたか?
後藤さん:母に「自分はほかの子と違うの?」と伝えたところ、「かわいいからいいじゃない。あなたはそのままで完璧なんだから大丈夫よ」と言われて。だからわたしも「そうか、わたしはこのままでいいんだ」と、そのときはなんとなく納得していたように思います。
両親には「人に助けてもらうことは多いから、感謝の気持ちは忘れないように」とも教えられました。だからといって、ただわたしを甘やかすわけでもなく、叱られるようなことをしたときは、きちんと怒ってくれました。
幼稚園や小学校では、物心つく前からの友だちが一緒だったので、他の友だちも小さなわたしを自然と受け入れてくれていて、楽しく過ごすことができました。ただ、小学校進学時には、両親が市や学校に相談して、椅子の下に踏み台を用意したり、元々ある階段の手すりに加えてさらに低い位置にも手すりを付けたり、わたしが使えるトイレを用意するなど対応をしてもらいました。
組体操で先生からもらった優しい提案
── 学校生活をスムーズに送れたのは、学校側が配慮してくれたおかげもあるのかもしれませんね。
後藤さん:わたしもそう思います。ありがたいことに、学校の先生方も友だちも、わたしがひけ目を感じないよう、いろいろと工夫してくれたんです。たとえば、小学校高学年の運動会で印象的なことがありました。学年種目として組体操を行ったのですが、わたしの記憶では、みんなと一緒に全部やったと思っていたんです。
でも、大人になってからそのときの写真を見てみたら、全然同じようにやれてなかったんです。わたしは背が低くて手足が短いので、ほかの子と組んで一緒に演技するのが難しい項目もあったのでしょう。先生の背中に乗ったり、先生に肩車してもらったり、先生と組んでみんなとはちょっと違うけれど似たような形で演技していました。できないから参加しなかったり、見学したりするのではなく、みんなと同じ場で同じようなことをやれるように工夫してくれたんですね。
そのおかげで引け目を感じたり落ち込んだりすることなく、みんなと一緒にやったという記憶になったんだと思います。そのことに気づいてとても嬉しかったし、先生への感謝の気持ちでいっぱいになりました。

── 周囲にもとても恵まれていたのが伝わります。
後藤さん:中学校に進級したときは緊張しました。公立の中学だったのですが、同級生のなかには別の小学校出身だった生徒たちがいます。わたしのことを知らない子もたくさんいたんです。体型がほかの子と違う自分のことを、周囲はどう思うんだろう?と不安でした。でも、一緒のクラスになった同じ小学校の友だちや、2学年上にいた兄が守ってくれました。当時は、自分の体がほかの人とは異なることは理解していましたが、軟骨無形成症という名前までは知りませんでした。