「ふざけただけなのに」「ちょっと茶化したら」。言ったほうはその感覚でも、受け手は違うもの。長州小力さんが長く愛され続けるのは、自身の中学時代の経験から、「人を傷つけない笑い」を目指してきたからかもしれません。(全4回中の3回)
塾友がいじめに加担?話して気づかされたこと
── お笑いタレントとして活躍する長州小力さん。「人が嫌がることは笑いにしない」というポリシーがあるそうですね。その背景には、中学時代に経験した「いじめ」にまつわる忘れがたいできごとがあると。当時のことを教えていただけますか。
小力さん:僕らが中学生だった1980年代は、学校でのいじめが社会問題としてクローズアップされた時代でした。そんななか、隣の中学校でいじめを苦にした生徒が命を絶つ事件が起きたんです。ワイドショーで連日取り上げられ、僕らの学校でもしばらくその話題で持ちきりでした。その生徒が残した遺書には、いじめた子たちの名前が記されていたらしくて、そのなかに僕と同じ塾に通っていた子の名前があるという噂が広まったんです。
── 身近な友だちの名前が挙がっていたと知って、とても驚いたでしょうね。
小力さん:正直、信じられませんでした。気になって、塾へ行ったときに本人に直接、聞いてみたら「そういうつもりはなかった」と言っていました。いじめられている場面に居合わせて、周りで茶化したり笑ったりしたことはあったけれど、自分がいじめたとは思っていなかった、と。その言葉を聞いて、一瞬ホッとした気持ちがありました。
でも同時に、「人によって受け取り方はこんなにも違うんだ」と強く感じました。いじめた側は軽い気持ちでも、いじめられた本人には深く傷が残り、命を絶つほどの痛みになることがある。そうした現実を突きつけられ、自分の言動を見直すきっかけになりました。
「笑っただけなのに」クラス中で無視されて
── 当時は学校生活のなかで、ふざけ合いといじめの境界線が見えにくい場面があったように思います。
小力さん:そうでしたね。仲間同士のノリの延長で、いま思えばいじめに近いようなことがたくさんありました。たとえば「あいつとあいつ、怪しいんだぜ」と、ふざけて黒板に相合傘で男女の名前を書いたり。僕も似たようなことをやったことがあります。もちろん、いじめの意識なんてありませんし、周りもみんな笑っていて。
でも、きっとそうしたことに苦しんでいた子がいたんだろうと思います。当時は、ちょっとしたきっかけでいじめる側にも、いじめられる側にも立場が簡単に変わるような空気がありました。実際、僕自身もいじめにあったことがあります。
── そうなのですね。それは、どんな状況だったのでしょうか。
小力さん:休み時間に、ゴムボールで野球をしていたときのことです。誰かが投げた球が、クラスの秀才の子の股間に当たってしまったんです。彼は痛そうにうずくまっていたのですが、僕はそれを見て、爆笑してしまったんです。
すると翌日から、クラスで無視されるようになりました。どうやら笑われたことにショックを受けた彼が、「あいつ無視しようぜ」とみんなに言って回ったらしいんです。最初はなんで無視されているのかわからなかったんです。でも、彼にとっては心が深く傷つくことだったんですよね。僕の行動がひどく無神経なものに映ったのでしょう。隣のクラスにも友だちがいたので、休み時間はそっちで過ごしていました。そうしているうちに、1週間くらいで無視は終わりました。

── 無視が終わるきっかけはあったんですか?直接相手と話をしたとか、先生に間にはいってもらったとか。
小力さん:いえ、そういうことはまったくなくて。僕も少し意地になっていたので、誰にも相談しなかったし、先生にも言いませんでした。単純に、時間の経過でやり過ごせただけでしたね。1週間で元に戻ったから、それほどダメージは受けなかったけれど、これが1か月、1年と続いたら…どうなっていたか。そう考えるとやっぱり怖いし、精神的に追い込まれていたかもしれない。そんな想像もしました。
ちょっとしたきっかけ次第で、誰でも加害者にも被害者にもなり得る。いじめの根本的な仕組みは、いまも昔も変わっていないと思うんです。意図せず誰かを傷つけてしまうような場面をどうすれば防げるのか。それはちょっとした思いやりがあるかどうか、に尽きるんじゃないでしょうか。自分の価値観だけを押しつけてしまうと、相手を傷つけることになる。もちろん、どれだけ気をつけていても、人間だから失敗してしまうこともあります。でも、相手の気持ちを想像することを心がけていれば、心地よい関係を保てるはずです。