いまや50代に突入してベテラン芸人に差しかかってきた長州小力さん。パラパラ芸やR-1グランプリでの活躍もあって、最高月収は2000万円!?も当時のお金は使い果たしてしまったそう。それでも、「売れた」ことで見えてきたことがあったといいます。
R-1グランプリの収録日は思わぬ事態に
── 漫談やコントなど、さまざまなスタイルにチャレンジするも、鳴かず飛ばずの20代を過ごした長州小力さん。そんななか、長州力のものまねとパラパラを踊るネタでブレイクを果たしたのは33歳のときでした。なにが転機になったのでしょうか?
小力さん:大きな転機は、2005年にフジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』でやっていた「笑わず嫌い王決定戦」に出演したことですね。僕が出たのはたしか第2回。あの番組からブレイクした人は多かったんですよ。次長課長、アンガールズ、とろサーモン、大木こだま・ひびき師匠、さまぁ〜ずの大竹さん率いるマイナスターズとか。僕も番組をきっかけにメディアに呼ばれるようになりました。さらに、その年はR-1グランプリで決勝までいき、環境が一変しました。
実は収録の日は、僕の人生でもうひとつ忘れられないできごとがあったんです。
── 忘れられないできごと、というのは…?
小力さん:番組のリハーサルから戻ったら、携帯の履歴が兄貴からの着信で埋め尽くされていたんです。「何だろう…」と連絡したら、「おふくろがくも膜下出血で倒れた」と。あわてて病院に行ったけれど、そのときはもう意識がなかったんです。番組の本番が控えていたのでいったんテレビ局に戻りましたが、収録を終えてふたたび病院へ。その後、ほどなくして母は亡くなりました。
父が死んだときは看取りが叶わなかったのですが、母はきょうだいみんなで見送ることができました。その日は僕にとっていろんな意味で「人生が変わった日」でしたね。