メラニン色素が少ないため、生まれながらに髪や肌が白い「アルビノ」。最近ではメディアでも知る機会が増えてきましたが、今から約40年前はアルビノという言葉自体が浸透しておらず、情報も乏しかったそう。そんな時代にアルビノの息子を産んだ粕谷幸司さんの母、友子さんは── 。
見た目の違いに偏見が強い時代だった

── 生まれつきメラニン色素が少ない体質である「アルビノ」。当事者の粕谷幸司さんは、人と見た目が違うことと向き合う経験などをメディアで発信し続けてきました。そんな幸司さんのお母さんは、「アルビノ」という言葉すら知られていなかった時代に、手探りで子育てをしてきました。はじめて幸司さんと対面した42年前のことを覚えていらっしゃいますか。
粕谷さん:よく覚えています。産後すぐ、先生が穏やかな口調で「世界にはいろんな肌の人がいるんですよ」と話し始めたんです。なぜそんな話を?と不思議でしたが、赤ちゃんと対面してその理由がわかりました。肌も髪も透けるように真っ白だったんです。
2人の兄たちも、親族にもそうした症状の人はいなかったので驚きました。でも生まれてきてくれたことがうれしかったです。当時は医師でさえアルビノについて詳しく知らない時代で、それ以上の説明はなく、私も「そのうち肌の色も変わるのかな」くらいに思っていたんです。
── ご家族や周りの反応はいかがでしたか?
粕谷さん:家族は事実をそのまま受け止めてくれましたが、母からは「変わった子を産んで、追い出されないだけでもありがたいと思いなさい」と言われ、とても傷つきました。見た目の違いに偏見が強い時代でしたから、周囲の目はやっぱり気になりました。出産直後、親戚が赤ちゃんを見に来たとき、わが子を見て気まずそうな反応をされたらどうしよう ── そう思いつめ、屋上に上がってしまったことがありました。死ぬつもりはなかったけれど、「ここから飛び降りたらどうなるんだろう」とふと思ったのを覚えています。すぐに思い直して冷静さを取り戻しましたが、今思えば本当に浅はかでした。
── 医師から詳しい説明もないまま育児が始まり、不安が大きかったと思います。
粕谷さん:耳に入ってくるのは「短命らしい」「知能が発達しないらしい」といった根拠のない噂ばかり。心配でたまらず、生後数か月間で大学病院の小児科を6か所ほど訪ね歩きました。どこもハッキリした答えをもらえず、不安でした。「普通に育てて大丈夫です」と、ようやく医師から言われたときは心底ホッとしました。そのときはじめて、先天性の「白皮症」(皮膚の色素であるメラニンが作られなくなる遺伝性の病気)で紫外線に弱いこともわかりました。その後、3歳のころには弱視だと判明。映画館ですぐ寝てしまうのは、スクリーンがまぶしかったからだと気づきました。
── 小さな子どもは外で遊びたがりますよね。紫外線対策は大変だったのでは?
粕谷さん:当時は日焼け止めの製品はほとんどなく、服や帽子で防ぐしかありませんでした。ただ、目が届かないことが多く、失敗もありました。小学1年生のとき、プールの授業で日焼けをして全身が水ぶくれになってしまったんです。日陰で見学していると思っていたら参加してしまったようで。急いで病院に連れて行きましたが、日焼けの痛みに泣かずにじっと堪えている姿を見て胸が痛みました。
── 見た目の違いから、周囲の視線を感じる場面は多かったと思います。
粕谷さん:肌も髪も真っ白なので好奇の目で見られることがありました。でも、幸司は明るく人懐っこい子で「かわいい」と言っていただくことが多く、私もその笑顔に癒されてきました。兄たちの支えもあり、学校でもいじめや差別を受けることなく過ごせていたようです。