高校時代はギャル男だった、お笑いトリオ・パンサーで活躍している菅良太郎さん。自由に育った菅さんですが、菅さん以上に自由だったのが会社を経営していた父親でした。菅さんが20歳のころに、突然バリ島に移住すると言い出したそうで…。

仕事を辞めて突然バリに行ってしまった父

菅良太郎
まったく面影がない!? 幼少期の菅さん

── 菅さんは会社経営をされていたお父さんと公務員のお母さんに育てられたそうですね。小さいころはどのようなご家庭だったのでしょうか?

 

菅さん:父は人材派遣会社の経営で成功していたようで、比較的裕福な家庭で育ったと思います。僕には姉と妹がいますが、父は長男である僕に会社を継いでほしいとは特に考えていなかったようです。やりたいことが見つかったら、それをやりなさいという感じでした。

 

裕福だったとはいえ、なんでも買い与えられたわけではなく、欲しいものは将来働いて買いなさいという感じで、お金のモラルには厳しかったですね。ただ、父自身は自由人だったので、すごいお金の使い方をする人でした。ある日突然、ベンツに乗って帰ってきたり、ポケットに犬のダックスフントを入れて連れ帰ってきたりしたこともありました。

 

── それはびっくりしますね!

 

菅さん:そうなんです。そんなタイプの父なので、僕が20歳のときにバリでラーメン屋をやるから会社を辞めると突然言い出して、驚きました。家族が「会社はどうするんだ?」と聞くと、区役所で働いている母が継げばいいと。母も突然のことにとまどっていました。

 

── 結局、会社はどうなったんですか?

 

菅さん:母が公務員を辞めて継ぐことになったのですが、母が社長になってから会社は急成長。業績は10倍、本社は東京なのですが大阪に支社までに作ってしまったんです。実は母のほうが経営者に向いていたみたいなんですよね。真面目ですしね。今思えば、父はちゃらんぽらんな人間だったので商売向きではなかったのかもしれません。