中学、高校時代はギャル男だった、お笑いトリオ・パンサーの菅良太郎さん。中学時代は学校もサボりがちで将来の夢もなかった菅さんですが、高校でのある出会いをきっかけに、お笑い芸人を目指すことになります。

当時は受験しても、受かる高校なんてなかった

菅良太郎
不真面目だった中学時代の菅さん

── 高校は通信制に通われたそうですね。今でこそ多い通信制ですが、30年前はまだまだ珍しかったと思います。なぜ通信制を選ばれたのでしょうか?

 

菅さん:通信制を選んだというより、それ以外に選択肢がなかったという感じでした。というのも、中学時代の僕はとても不真面目で、学校にあまりちゃんと通っていませんでした。たとえば数学なんて大人になったら使わないと思っていたので、意味のない授業に出る気にはなれなかったし、所属していたサッカー部もサボり気味。友人の家に集まっては、遊んでばかりいました。そんな感じなので勉強なんて全然できなくて。普通に高校受験しても受かる高校なんてなかったんです。

 

── ご両親はそんな菅さんを見て、怒ったりしなかったのでしょうか?

 

菅さん:めちゃめちゃ怒っていましたよ。学校に行くようにと毎日のように注意されていましたが全然、言うことを聞きませんでした。なにせ当時からギャル男で、髪の色を変えたり、カラコンを入れたりとけっこうやんちゃだったので。そうしたらある日、中学卒業後はオーストラリアに行くように両親から言われたんです。

 

── オーストラリアとはなんでまた?

 

菅さん:このまま日本にいたらダメになる、グレてしまうと思ったようで、逃げ場のない海外の高校に進学させようとしたみたいです。海外に行けば知り合いはいないし言葉も通じない。そういう八方塞がりな環境に身を置かせて、更生させようとしたんじゃないですかね。

 

ただ、僕としては絶対に避けたいわけです。海外なんてちっとも行きたくないし。それでどこか行ける高校がないか探していたら親が通信制の高校を提案してきて、それで進学することにしたんです。

 

── 進んだのは東京共育学園高等部という通信制高校サポート校でした。選んだ理由はなんですか?

 

菅さん:今は変化しているかもしれませんが、僕が通っていたときは校則があまりありませんでした。制服も着たい人だけでいいし、髪色の制限はなく、バイトもOK。

 

もちろん高校卒業資格を取得するために単位はしっかり取らないといけないし、レポート提出などもありますが、雨が降ったら行かなくても大丈夫なくらい自分のペースで通うことができたのはよかったですね。マイペースに学べるのが僕には向いていて、でも遅れていると先生がきちんと指導もしてくれました。

 

── 高校生活はどうでしたか?

 

菅さん:相変わらずギャル男でした。当時はギャル、ギャル男が流行っていた全盛期で、学校が終わったあとはバイトしたり、クラブに行ったり、パラパラ踊ったり。そんなことばかりしていましたね。

 

学校には僕のようなギャル男だけでなく、ヤンキー、いじめられて転入してきた人など、さまざまなタイプの人がいました。個性を尊重し合える環境で、いじめもなかったと思いますし、仲のいい友だちも高校でできました。