母にも姉にも自分から頻繁に連絡はしないけど
── 社会貢献活動について、お母さんやお姉さん(バスケットボール女子の内尾聡菜選手)は何か声をかけてくださいますか?
内尾さん:母にも姉にも、僕からはあまり連絡しないのですが(笑)、いつも応援してくれています。姉も、バスケ選手の大先輩として、そしてきょうだいとしても気にかけてくれていて、「何か困ったことがあったら相談して」と言ってくれるので、本当に感謝しています。

── わが子が2人ともトップリーグで活躍するバスケットボール選手になられて、女手ひとつで育ててこられたお母さんにとっては、きっと感慨深いものがあると思います。お母さんは、もともとあれこれ心配することなく、「行ってらっしゃい」と温かく背中を押してくれるような方なのでしょうか。
内尾さん:そうですね。母は、姉と僕がそれぞれ小学1年でバスケを始めてから、ずっと「トップリーグの選手になってほしい」と密かに思っていたんじゃないかなと思います。でも、僕自身、高校時代を含めていろいろな壁にぶつかることもあり、「もう続けるのは難しいかもしれない」と思ったこともありました。
姉はもう10年ほど選手を続けていて、本当にすごいなと思います。ただ、姉もこれまで心が折れそうになったことは何度かあったようで、やっぱり続けるのは簡単なことではないと感じます。
僕に関しては、大学進学を決める時点でプロ選手を目指していたわけではなかったんです。でも母は、特に口出しをすることもなく、いつも僕の選んだ道を応援してくれていました。たとえ別の職業を選んでいたとしても、きっと同じように応援してくれただろうなと思います。今振り返ると、親としてはやっぱり、姉と僕にはバスケを続けてほしかったと思うので、母の期待にひとつ応えられてよかったなと思います。
── 24歳という若さで、子どもたちのために活動をしたいと思っても、実際にプロジェクトを立ち上げて、プロバスケットボール選手としての生活と両立を続けるのは簡単ではないと思います。
内尾さん:そうですね。今はBリーグ全体としても発展してきていて、社会貢献活動に力を入れるチームが増えています。いっぽうで、所属チームによって活動の内容や関わり方が変わることもありますが、僕は「子どもたちのための活動」を自分の軸として続けていきたいと思っていました。
移籍の多い世界なので、僕自身、いつ環境が変わるかわからないなかで、自分がやりたい活動を自分で立ち上げておけば、どんな場所でも続けていけると考えました。今も、心からやりたいと思えることだからこそ、楽しみながら続けられていると実感しています。
取材・文/高梨真紀 写真提供/内尾総理、佐賀バルーナーズ、株式会社IMO