名門・福岡第一高校で仲間に「ストイック認定」されたワケは

── そんなお母さんの思いを受けて、高校時代は、仲間たちと切磋琢磨する日々を送られていましたね。あるYouTube番組では、当時のチームメイト・河村勇輝選手が「自分よりもストイック」と語っていたのが印象的でした。でも実は、そのころはバスケを嫌いになりかけたこともあったとか。

 

内尾さん:そうですね。上を目指していけばいくほど、自分よりも上手い選手や結果を出している人に出会うのは当然だと思います。僕自身、中学時代は中心選手として全国大会に出場していて、自分のプレーにある程度の自信がありました。だからこそ、高校に入って壁にぶつかったときは、その現実をなかなか受け入れられず葛藤していました。河村をはじめ、まわりのレベルの高い選手と比べてしまい、思いどおりにプレーできない日が続いた時期もありました。

 

── そうだったんですね。高校時代の活躍も拝見しましたが、そうは見えなかったので意外です。

 

内尾さん:高校の3年間は、壁にぶつかってばかりでした。監督に叱られることも多く、そのたびに気持ちが沈んで、正直つらかったと思います。それでも、「悔しい」「まだやれる」と感じる自分がいました。その気持ちがあったからこそ、諦めずに続けてこられたんだと思います。

 

内尾聡理
高校時代は、全国大会2連覇を達成

──「諦められない」というのは、内尾さんがバスケを続けることを応援してくれるお母さんのためにも、諦めずに上を目指したいということでしょうか。

 

内尾さん:そうですね。だから、どんなに苦しい時期でも「続ける」ということだけはやめませんでした。最終的には試合に出ることにつながり、壁にぶつかったぶん、達成感も大きかったです。その経験が自信になり、人としても大きく成長できたと思います。

 

── 自信があったバスケで壁にぶつかった高校時代に、大切にしていたことはありますか?

 

内尾さん:高校の途中から日記を始めました。練習や試合があった日に、自分ができていること、できていないことを書き出していくんです。その次に、できていないことを克服するために自分がどうすべきかを書いて。プレーをよくするために考えて、そのための練習や習慣を積み重ねていくことを継続しました。うまくいかないことを克服するのは時間がかかるので、やり方は少しずつ変えながら1年でも2年でも3年でも続ける。それは今でも大事にしていることです。

 

── 内尾さんのストイックさに触れたような気がしました。高校時代、真剣にバスケと向き合った毎日でも、息抜きをする時間は持たれていたのでしょうか。

 

内尾さん:高校のときの息抜きといえば、寮でみんなと話すことくらいでした。でも、そんな厳しい環境のなかでバスケに打ち込めたことが、今につながっていると思います。振り返ると、とても大切な3年間でしたね。

 

── ディフェンスを持ち味とする選手として、今後どんな選手として活躍したいですか。

 

内尾さん:しつこさやアグレッシブさを、誰よりも激しく、一生懸命に出せるところが自分の持ち味だと思っています。Bリーグでしっかり結果を残していくためにも、その強みを磨き続けていきたいです。この世界は、鍛えることをおろそかにした瞬間に、プロとしてコートに立てなくなるほどシビアなので、特に“しつこさ”は大事にしています。ディフェンスという強みを活かして、チームに必要とされる選手であり続けたいと思います。

 

 

小学校から15年続けてきたバスケの実力が認められ、2024年にプロ入りを果たした内尾選手。結果を出し続けることの難しさを感じながらも、「プロバスケットボール選手の自分だからできること」を模索しています。そのひとつとして、ひとり親家庭などの子どもを支援するプロジェクトを立ち上げました。家庭環境によって夢を諦めてしまう子を減らしたいという強い思いのもと、シーズン中は本業に全力を注ぎながら、スタッフの力を借りて活動を続けています。

 

取材・文/高梨真紀 写真提供/内尾聡理、佐賀バルーナーズ、株式会社IMO