スポーツジムのインストラクター、モデルとして活動するerinco(エリンコ)さん。両親が54歳で出産したそうですが、日本人顔の両親とは見た目が違うと感じていたそうです。そんな彼女が自身の出生の秘密を知ったのは20歳のときで── 。
「母は54歳のときに私を産んでくれた」

── 今年の3月にSNSで、ご自身はお母さんが54歳のときに生まれた子であることと、いまは亡き両親への感謝を投稿されました。何かきっかけがあったのですか?
erincoさん:3年前に父を亡くし、今年の1月には母が天国へ旅立ってしまいました。母はくも膜下出血と脳梗塞を併発して倒れ、急に亡くなってしまったので、しばらく心に穴が開いた状態だったのですが、3月8日の母の誕生日に、その母が亡くなったことをSNSに投稿しようと思い立ちました。その日が国際女性デーだということもあと押しになり、自分の子ども時代の写真、ミモザの写真と一緒に「母は54歳のときに私を産んでくれた。母の諦めない努力のおかげで、私はこの世に生まれることができた」という言葉を添えたんです。
── 投稿に対して何かリアクションがありましたか?
erincoさん:投稿を見た方から「もしかして体外受精で生まれましたか?」というメッセージが届きました。いままで、母が54歳のときの子どもだと言うと驚かれるだけで、体外受精と指摘されたことはなかったし、ましてや同じ境遇の方に会ったこともなかったのでびっくりして「そうです。なぜわかったのですか?」と返事をしました。すると、その方が「私の子どもも海外で卵子と精子を提供されたダブルドネーションです」と、お子さんのルーツを明かしてくれました。50代の女性で、ご主人は60代であること。2年前に出産したこと。子どもの顔立ちが日本人離れしていることなど、写真を交えながら長文でいろいろと書いてくださいました。
── erincoさんを産んだ当時の、ご両親のような立場の方からご連絡があったのですね。
erinco:27年間生きてきて、親の立場にしても子どもの立場にしても、体外受精で産んだ、生まれた、という人に会ったことがなかったのですごく衝撃を受けました。そのメッセージのやり取りをきっかけに実際にお会いすることになり、2人のお子さんを見たら、幼いときの自分を見ているかのように似ていて「仲間がいる」と感じました。両親は日本人だけど子どもが日本人っぽくないというという見た目もそうですが、ご夫妻が子どもにのすごい愛情を注いでいる。その姿を見て、あまりに自分に重なる部分が多くて感動し、号泣してしまいました。
また、海外での卵子や精子のドネーションや体外受精については知らないことが多かったので、いろいろと教えてもらいました。みずから明かす方は多くないかもしれないけれど、体外受精で出産する方も現代では多いと聞き、その翌日にSNSで自分のルーツを明かす投稿をしたんです。
海外で卵子提供を受けて生まれたミックスだった
── 体外受精で生まれたことを公表されたんですね。
erincoさん:日本人の両親のもとに生まれたけど、顔立ちが日本人離れしていること。海外で提供された卵子と父の精子を体外受精させて母のお腹に宿し、54歳のときに自然分娩で私を産んでくれたこと。それでもやっぱり私は日本人であることを書いて投稿しました。それに対する反響がすごかったです。
── どんな反響がありましたか?
erincoさん:「私も50代で産みました」「高齢出産で子どもは小さく生まれたけど、erincoさんみたいに元気な子に育ってくれるとうれしいです」という方や、「40代でもう子どもは諦めていたけれど、こういう方法があると知れてよかったです」という方からのメッセージが届きました。ほかにも「いまerincoさんは両親を見送ってひとりかもしれませんが、前向きにしている姿や両親への感謝を忘れない姿を見て安心します」「勇気をもらった」など…。そう言っていただくと、私も勇気を出して発信したかいがあったと思いました。
でも実は私、20歳になるまで日本人として育てられたし、海外で卵子提供を受けたとか体外授精で生まれたとかいうことは、知らされてなかったんです。