親戚が集まるときに感じた「モヤモヤ」を機に

──「手話のおかげで世界が広がった」と、前向きにとらえられるようになったんですね。

 

大屋さん:私は手話でも会話ができるおかげで、ろう者の立場や思いもわかります。もちろん、耳が聞こえて音声言語の日本語も話せるので健聴者の考えもわかります。両方の世界を理解しているからこそ、どちらにも所属できないというか…。「私はどの立場で生きていけばいいんだろう」という気持ちがありました。

 

今でこそ両親がろう者で、本人が聞こえる子どものことを「コーダ」と呼ばれることが、少しずつ知られるようになってきましたが、私が子どものころはコーダという言葉や周囲の理解もあまりなかったように感じます。だから、「自分は何者なのか」と葛藤していたように思います。

 

── 両方の立場に立っているからこそ、アイデンティティに悩んだのだと思います。

 

大屋さん:子どものころから、ろう者と健聴者のコミュニケーションをスムーズにするにはどうしたらいいんだろうと、ばく然と考えることはありました。沖縄はお盆やお正月などでよく親戚が集まります。子どものころからよく参加していたんですが、親戚も両親のきょうだいも含めてみんな手話ができません。だから、両親はずっと、身内ときちんとしたコミュニケーションがとれていなかったような気がします。

 

みんなが集まっている場所で、両親は会話についていけないわけです。場が盛り上がっているとき、私に「今どうしてみんなは笑っているの?」と聞いてきます。「こういうことがあったんだよ」と説明すると、両親も理解できるのですが、そのときにはもう別の話題にうつっていて。いつもワンテンポ遅れてしまう。

 

でも、周囲はそれを気にしませんでした。みんないい人たちで悪気はまったくないけれど、両親が話に入ってこないのは当たり前だと感じているんですね。私は子ども心に「どうして置いてきぼりになっちゃうんだろう。両親がさみしいのもわかるし、みんなが自分のペースで話をするのも理解できる」と、モヤモヤとしていました。

 

そのモヤモヤをどう解消したらいいのか悩んでいましたが、成長していくなかで、「手話も日本語も話せるのは私の強み。将来はそれを活かしたい」と思うようになって。いずれは健聴者とろう者の橋渡しをしたいと、ひとつの夢ができました。

 

大屋あゆみ
テレビ番組の彼氏募集に応募した夫とつき合い始めた当初

── そういった思いがあって、ろう者も健聴者も楽しめるよう、手話でオリジナル喜劇を演じるコメディー集団「劇団アラマンダ」を2018年に立ち上げたのでしょうか?

 

大屋さん:はい。聞こえる人も聞こえない人も、みんなが楽しめる舞台をめざしています。具体的には演者が手話を交えながら、セリフを声で発していきます。それによって、聞こえる、聞こえない関係なく舞台を楽しめる。お笑い芸人・タレントとして活動し始めて試行錯誤しながら、ようやくたどりついた形です。実際、舞台を観に来てくれた方が同じように笑って楽しんでくれるので、本当にうれしいです。これからもずっと活動を続けていきたいです。

 

 

手話でオリジナル喜劇を演じる劇団を立ち上げた大屋さんですが、じつは最初から芸人になろうと思ったわけではなかったそうです。しかし、ひょんなことからお笑いの世界へ。今後の目標は手話とお笑いの融合をさらにめざすこと。その先でいつか、テレビや舞台で当たり前に手話がついている世界になったらいいなと願いながら、今日も公演に全力を注いでいます。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/大屋あゆみ