お笑いタレントの大屋あゆみさん(41)は、両親が聴覚に障がいがあります。自身は耳が聞こえて手話もできますが、手話をする姿を人にからかわれ、恥ずかしさを覚えたこともあったそうです。(全3回中の2回)

手話をするのをジロジロ見られるのがイヤになって

── ろう者・難聴者の親を持ち、自分自身は耳が聞こえる子どものことを「コーダ」と言います。沖縄でお笑いタレントとして活動する大屋さんのご両親は、ふたりとも耳が聞こえないため、大屋さんはコーダにあたるそうですね。幼少期から手話でご両親の通訳をしていたとうかがいました。当時はどんな様子でしたか? 

 

大屋さん:まず最初に、手話言語は音声言語の日本語とは文法などが異なり、聴覚に障がいのある人の「言語」です(2011年公布の「改正障害者基本法」でも手話は言語であると明記されている)。音声言語の日本語とは文法が異なるので、勉強しないと習得できないものです。最近の若いろう者は、学校や育ってきた環境でさまざまですが、音声言語の日本語を理解できる人が多いように感じます。以前は耳が聞こえない人が音声言語の日本語を理解する機会が乏しかったそうです。私の両親も日本語は得意ではないんです。

 

そのため日常生活では、健聴者の話を両親に通訳する役割を自然と担うことになりました。3歳ころから、病院の受付の人の「ここで診察券を出してね」といった簡単な声かけに対しても、父に手話で説明したのを覚えています。たとえて言うなら、海外に行って、私だけが現地の外国語を話せる感じで、家族がコミュニケーションに困っているから手伝う感覚でした。家のなかでは手話で会話をしていたため、手話を幼いうちから学び、いっぽうで、話し言葉の日本語は近くに住む祖父母や親せきと接していくなかで覚えていきました。

 

仲間と立ち上げた劇団・アラマンダの舞台は聴覚に障がいがあっても手話でお笑いを楽しめる

── ご両親のサポートをする状況について、大屋さん自身はどう感じていましたか?

 

大屋さん:小さいころはそれが当たり前で、ごくふつうのことだったので、なんとも思っていませんでした。いろんな人から「ご両親の通訳をしていて、えらいね」とほめてもらえるのはうれしかったです。でも、小学校3、4年生くらいになってくると、人の目がだんだん気になるようになってきました。両親と手話で会話をしていると、ジロジロ見られることが多く、それが恥ずかしくもあって…。

 

学校の授業参観などの行事で私たち親子の手話を見たほかの子たちがからかってきたり、ふざけてマネしてきたりすることがありました。そのため、人前で手話をして話すのがだんだんイヤになってしまいました。