3回目の受精卵移植から妊娠、出産
── 不妊治療に関することは、なかなか口に出しづらいですよね。
晴天さん:2回の流産を経験し、3回目でようやくうまくいったのですが、妊娠中はクリニックでの「育ちがよくないですね」というような医師のひと言に落ちこみ、ネットで検索しまくったりして神経質になっていて。「また流産するかも」と不安になって毎日のように泣いていました。
不妊治療の情報収集のためにSNSのアカウントを作ったら、治療がうまくいかなかった人たちの声を目にする機会が増えて。匿名だったので、思っていた以上にみなさんが心のドロドロした部分をつぶやいていました。でも、そうやってつぶやいてる不妊治療中の人たちも、本当は誰かが妊娠したら素直におめでとうって言いたいって思うんです。心の底から喜びたいのに、人の幸せを喜べなくなった自分も嫌いになってしまう。不妊治療中には、そんな悲しい心情も経験しました。
── つらい気持ちを共有するのも大切かもしれません。でも、治療の状況は人それぞれで、うまくいく人もいればいかない人もいるというのはつらいですよね。
晴天さん:そうですね。あと、数値を入力したら妊娠継続率がわかるというアプリを使っていたのですが、個人的には不安のもとになってしまっていた気がします。3回目の陽性反応のときは、妊娠継続率が5.7%だったんですよ。思った以上に低くて「継続は無理かも」と不安になりました。でも、2回連続で流産をする確率が4.2%らしくて。そんな低い可能性を経験したんだから、妊娠継続できる5.7%を信じられなくてどうするんだ!って自分を奮い立たせていました。
── そんな不安な10か月を乗り越え、41歳で出産されました。
晴天さん:妊娠中はつねにストレスを抱えていたこともあり、費用はかかりましたが出産のときは個室に入院しました。不妊治療や流産手術をした病院と、出産した病院がすべて同じ駅が最寄りだったんですね。流産手術をした病院から、産科がある病院が見えたんです。流産の手術のあと、病室の窓から「絶対にあの病院で子どもを産むんだ」って思っていたことを思い出します。願いが叶ったときは本当にうれしかったです。

── 出産自体はスムーズだったのでしょうか?不安はありましたか?
晴天さん:つわりがひどかったし、ずっと不安でした。母親学級で、赤ちゃんの重さと同じおもりをつける妊婦体験ってあるじゃないですか。あのイメージとは実際は違って、内臓の内側から胃が押し上げられて胸が圧迫されているような気がしました。動悸や息切れもしていたので、ちゃんと出産までたどり着けるのか不安でした。
出産は普通分娩で、と決めていたんです。無痛を選ばなかったのは、人生で一度くらい陣痛がどれくらいのものか体験したいという気持ちがあって。先に破水したのでそのタイミングで病院に行き、院内で陣痛を待つ形になったので、気持ち的には安心できました。でも痛みがどんどん強くなっていくと、ワクワクしていたことに後悔しましたね(苦笑)。
── 旦那さんは、どのようなサポートをしてくれましたか?
晴天さん:よくドラマで赤ちゃんが産まれるまで、旦那さんが背中をさすってくれたりしているじゃないですか。でも、私の場合は、夫に背中をさすってもらっても痛みがやわらぐ感じがなくて、「ラーメン食べに行ってきなよ」って伝えたんです。そうしたら夫が不在のときに、助産師さんが来て「旦那さんに戻ってくるように伝えてください!」って言われてしまい。さらに産む直前も、夫が違う階のコンビニまで食料を買いに席をはずしたタイミングで「産まれそうなので、分娩室に行きましょう」って声がかかって、あわてて病室から電話をかけて分娩室に戻ってきてもらったり。ことごとくタイミングの悪い夫でした(笑)。その後、30分ほどで生まれたので、どうにか立ち会うことができました。
── 無事立ち会い出産ができてよかったです。
晴天さん:出産後、赤ちゃんと私と夫の家族3人きりで過ごせる時間があったんですが、赤ちゃんが無事に生まれてきて、肩の荷が下りたのか、「どうしていなかったの!」って夫に怒りをぶつけてしまいました。妊娠中はなにかあったらどうしようってずっと怖かったんだと思います。無事に出産が終わったとたん、一気に怒りのパワーがみなぎった感じがありましたね。