同居していた「おじさん」のひとりが実は父だった
── 同居していた3人の「おじさん」たちは、働いていたから家の手伝いができなかったんでしょうか。どんな「おじさん」だったのでしょうか。
清人さん:3人ともばあちゃんの息子だったのですが、長男の「マサおっちゃん」は港町で積み荷の上げ下ろしを、次男の「かーぼ」は木材所で働いていて、三男の「のり兄ちゃん」は土木作業員をしていました。
── 働き手が3人いらっしゃっても金銭的に厳しく…?
清人さん:それ、よく言われるんですよ(笑)。僕も不思議なんですけど、たぶん借金のせいじゃないですかね。
── 後に3人のおじさんのうちのひとりが、実は父親だということが判明したそうですね。どんな経緯でわかったのですか?
清人さん:おじさんたち3兄弟には姉がいました。つまりばあちゃんにとっての長女ですね。関西のほうに住んでいて、たまに自分の娘を連れて家に遊びに来ていたんです。そのおばさんから聞きました。
小学校低学年のころ、僕がお手伝いをほめられて、近所の人から500円もらったんですよ。当時はお札だったので、その500円札を同居しているかーぼに「かーぼ、これでバイクを買ったら?」って渡したんですよ。それを見たおばさんから「あんた、昔から『かーぼ』って言ってるけど…。お父さんになんて口聞いてんの?」と怒られて、そこで初めて「かーぼ=父親」ということを知りました。母親がいない家だっていう意識はあったんですけど、おじさんは3人もいてそれぞれかわいがってくれたし、父親的な役割に関しては満たされていたんですよ。いま考えると、それまでなぜ父親が誰だと考えなかったのか不思議ですけど、僕もよくわからないんです。ぼんやりした子どもだったし、大人を問いただしていろんなことを明らかにしようという考えがなかったんでしょうね。
── その後のお父さんとの関係性はどうだったのですか?
清人さん:最初は照れ臭かったのですが、だんだん「おじさんの中のひとり」から「親父」という認識を持つようになりました。よく一緒に遊んでくれましたし、パチンコのついでですが、映画館なども連れて行ってくれた思い出があります。ほかの「マサおっちゃん」や「のり兄ちゃん」は酒に酔うと暴れたり、めんどうになると働かなかったりしていたイメージがあるのですが、親父はちゃんと働いて僕を気にかけてくれていたと思います。