「ヤングケアラー」周囲の大人が寛容でいてあげて

清人
ヤングケアラーについての講演会の様子

── 清人さんは当事者として「ヤングケアラー」についての講演もされていますよね。講演会ではどんなことを伝えていらっしゃいますか?

 

清人さん:ヤングケアラーの子どもに対してというより、周囲の大人に対して理解を深めてほしいという内容の講演が多いです。先日は幼稚園から高校までの先生や、養護施設の方などの教育関係者が300人集まりました。1時間半くらい、いろんな話をしますけど、最後に必ず言うのは「周囲の大人が寛容でいてください」ということです。

 

「ヤングケアラー」って、僕が子どものころにはなかった言葉ですし、僕のなかでは「ズッキーニ」ぐらい知らなかった言葉で、いまいちピンときてないから使い慣れない(笑)。それに「ヤングケアラー」という言葉には広い意味があるけれど、そう呼ばれる子どもがちょっとかわいそう、みたいなイメージで使われることが多いじゃないですか。

 

もちろん、家族のケアでしんどい思いをしている子にいちばん目をむけなくちゃいけないのは当たり前なんですけど、でも実際はそこまでつらいと感じていない子もいる。だから「ヤングケアラー」という言葉でひとくくりにして、大人が何かしてあげなくちゃ、ということじゃなくて、当事者の子どもが困ったときに何でも発信できるよう、寛容でいてほしいなと。

 

周囲の人が寛容でいてくれると、家族をケアしている子どもたちも、気持ちに余裕ができるんじゃないかなと思います。僕自身が近所のおばちゃんたちに、受け入れてもらっていたように。

 

── 経験者ならではの目線ですね。

 

清人さん:僕の勝手な解釈ですが、家族のケアに悩む子も、いじめに悩む子も孤独と闘ってどうしようもなくなって追い詰められていくような気がしていて。特に日本では、幼いころから「(世間や他人に)迷惑をかけたらだめだよ」と言われ続けて育つので、誤解を恐れずに言うなら、「子どもってもっと迷惑をかけて生きていいんだよ」という言葉をかけたいです。迷惑をかけちゃいけない、恥ずかしい、申し訳ないという気持ちから、親にも誰にも悩みを打ち明けられなくて孤独に陥っていくことは、自分との闘いだからいちばんつらい。だから周囲が「迷惑かけていいんだよ」というような気持ちで寛容でいてあげるといいんじゃないかと思っています。

 

 

目が不自由なおばあちゃんのお世話をしながら、子ども時代を過ごしていた清人さん。小学校3年生のとき、自分を産んですぐに亡くなったと聞かされていた母親が、実は生きていたという衝撃的な事実を知らされます。そして、大人になってから思いがけない形で再会を果たすことに。ただ、それまで理想の母親像ができあがりすぎてしまったため、思い描いたような「感動の再会」にはならなかったそうです。

 

取材・文/富田夏子 写真提供/清人