お笑いコンビ・バッドボーイズの清人(きよと)さん。物心ついたころから母親がおらず、目が不自由な祖母を支えながら3人の「おじさん」とすき間風吹く家で暮らしていました。現在では「ヤングケアラー」についての講演会も行う清人さんに、幼少期の暮らしについて話を聞きました。

目の不自由なおばあちゃんが母親がわりだった

清人
幼稚園のお遊戯会でばあちゃんと

── 母親がいない家庭で育ち、目の不自由なおばあちゃんが母親代わり。その息子であるおじさんたちが父親代わりと感じて暮らしていたそうですね。幼少期はどんなお子さんでしたか? 

 

清人さん:ばあちゃんからは、シャイで人見知りな子だったとよく言われていました。僕のばあちゃんは目がほとんど見えなかったので、普段の買い物や出かけるときは僕が手をつないでいました。それを見た近所のおばちゃんから「清人くんえらいねー、こんにちは」と声をかけられることがあったのですが、僕は「こんにちは」が言えず、笑顔が挨拶代わりという感じで、ずっとヘラヘラしていました。ばあちゃんは雰囲気でわかるのか「ヘラヘラしなさんな」と、よく怒ってましたね。

 

保育園も途中入園で友達となじめず、みんなが鉄棒で遊んでいるのを後ろでずっと見てるような子でした。そのなじめない様子を保育園の先生がばあちゃんに伝えたようで、ばあちゃんは僕の手を引いてぐいぐい鉄棒の列まで連れて行き、「清人も入れてあげて」と強引に仲間に入れさせていました。

 

── 自分に母親がいないということは、そのころにはもうわかってたんですか?

 

清人さん:母親は、僕を産んですぐに亡くなったと聞かされていました。まだそのときははっきりと、母親がいないというのがどういうことか理解していなかった気がします。ただ、テレビで誰かのお母さんが出るシーンになると、何か少しせつないような感覚になったのだけは覚えています。

 

── おばあちゃんの目は、生まれつき不自由だったのでしょうか? 

 

清人さん:いや、僕が本人から聞いた話では、40~50代ごろから悪くなったそうです。緑内障と、トラックに追突されて後頭部を打ち、その衝撃で視力が落ちたと言っていましたが本当のところはわからないです。