苦労を乗り越え感じる「人の前に立てる喜び」

── 大学卒業後、アナウンサーとして忙しい日々を送られていたと思いますが、その後の症状はいかがでしたか。

 

加藤さん:毎日メイクをする経験がなかったので、社会人になって毎日ファンデーションをつけることに不安はありました。首に湿疹が出てしまったときは、予定していた衣装の下に自分で綿のタートルネックのトップスを持って行って、首が見えないようにしていたこともあります。今も日光のアレルギーがあるので、強い日差しの下にいると湿疹が出てしまうこともありますし、肌は変わらず弱いので汗をかいたときなどは特に気をつけているのですが、肌はだんだんと強くなっていきました。

 

加藤綾子さんと娘
娘さんを抱っこしてお散歩する加藤綾子さん

アナウンサーとして人からさまざまな言葉をかけられることも多い仕事ではあるのですが、過去に浴びせられていた視線と、こうやって働けていることで向けられる視線はまったく別物です。もちろん大変なことやつらいこともありますが、元気に人の前に立てていること自体がうれしいと思えています。

 

── 現在のポジティブなイメージは過去の経験からくるものなんですね。

 

加藤さん:ある意味で、小さいころから鍛えられていたことが仕事に活きているかもしれません。あとは母の考え方が私の支えになっているように思います。母はとってもひょうきんで。アトピーがだいぶよくなった大学時代の話ですが、当時の私は体が細く、自然に焼けていて肌の色が黒かったので、友達から「ナナフシに似てる」と言われたことがありました(笑)。「ナナフシ?何それ」と言ったら、「知らないの?すごく細くて、黒い虫だよ」って。笑ってしまいましたが、ひどい例えですよね。家に帰って母に話したら、開口いちばんに「当たり前でしょ!」って。なんでも母は学生時代に「ゴボウ」と言われていたことがあったらしくて。流石に娘ながら、当たり前ってことはないよなと思いましたけど(笑)。

 

── お母さんのキャラクター、素敵ですね。

 

加藤さん:母が悲しむ姿を見てしまったら、「やっぱりこれは悲しいことなんだ」と思っていたかもしれません。それに、言った方もそこまで深く考えずにパッと出てしまった言葉だったかもしれないので、言葉の受け止め方の訓練になったといいますか、知らず知らずのうちに学んでいたことがたくさんあったなと思います。

 

母は20代で私を産んだので今の私よりももっと若い年齢で子育てをしています。当時はネットもなく、情報が少ないなかでアレルギー体質の子どもを育てるのはとても大変だったと思います。食事も家族のものとは別に私のものを用意してくれていましたし、毎日お弁当も作ってくれて…。私にはそんな姿を見せなくても、母もきっとつらかったと思いますし、ずっと頑張ってくれていたんだろうなという感謝の気持ちが子育てをしてよりいっそう増えました。

 

 

今春から仕事復帰した加藤綾子さん。仕事の直前に娘さんから風邪をもらってしまい、「初回から洗礼を浴びた」と話します。現在は育児をメインに、社会と繋がることの大切さを感じながら仕事との両立をしているそうです。趣味がないことが悩みと話す加藤さんは、娘さんには好きなことを見つけて、それを深めてほしいと願っているそうです。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/加藤綾子