能登半島地震での悔しさは忘れられない

── 両立を続ける日々のなかで、どんな葛藤が生まれていったのでしょうか。

 

加藤さん:テレビ局は24時間体制で、アナウンサーとして不測の事態があれば、できる限り出社するのが暗黙の了解になっています。私も臨戦態勢で戦力になりたいという気持ちがつねにありました。

 

でも現実には、子育てをしながら100%の力で対応することはできません。そんな自分を中途半端に感じて、だんだん苦しくなっていったんです。制度や環境に助けられてきたいっぽうで、力を出しきれないもどかしさが積み重なり、「このままここにいて、いいのだろうか」と悩む場面が増えていきました。そんな最中の2024年の元旦に能登半島地震が起きました。

 

── 放送の現場にとっては緊急事態ですよね。そのとき、加藤さんはどんな状況にあったのですか。

 

加藤さん:震災が起きたとき、私たち家族は旅行で京都にいました。直接、局から招集がかかったわけではありませんが、「こんな私でも、なにかの力になれれば」と思い、深夜に車を走らせて東京へと戻ったんです。災害報道の現場では初動が何より大切です。東日本大震災のとき、24時間体制で情報をかき集めて発信していく現場を経験していたので、「駆けつけるのが当たり前」という感覚が自分のなかにありました。「電話番をする」だけでも役に立ちますし。

 

ところが、東京に戻った直後に子どもの体調が急変し、結局、出社できなかったんです。そのときは悔しかったですね。もちろん子どものせいではありませんし、周囲も「ムリしなくていい」と言ってくれました。でも、仲間たちが一丸となって必死に災害報道に対応しているなかで、自宅にいて力になれず、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。