伊勢丹の紙袋柄スーツがトレードマークのお笑いコンビ・COWCOWの多田健二さん。ずっとそのスーツを着ている印象ですが、実はM-1で3年連続準決勝止まりだったときに一度、脱いだ過去があります。しかし先輩たちの助言で再びスーツを着出すと…、奇跡のような快進撃が始まりました。(全3回中の1回)
たまたま選んだ派手なスーツで「つかみ」が誕生
── COWCOWといえば、「伊勢丹の紙袋柄」スーツ、海外でも大ブームになった「あたりまえ体操」など、印象的な姿が思い浮かびます。漫才にとどまらず、コント、ものまね、ギャグ連発と活躍の場を広げていますが、全国に知られるまでの経緯は?
多田さん:1993年、中学・高校と同級生だった善し(よし)とコンビを組み、大阪で新人賞を3つとって、2001年に満を持して上京しました。ちょうどオープンしたばかりの「ルミネtheよしもと」に出ることになったのですが、善しから「東京はボケとツッコミがひと目でわかったほうがいい」と言われ、派手な服を探しに原宿の竹下通りに行ったんです。
ビジュアル系バンド向けのお店で「派手で、いいやん」と、僕の目を引いたのが例のスーツです。それを着て初ライブに出たら、お客さんほぼ全員がアンケートに「衣装が伊勢丹の紙袋にしか見えない」って書いてて…。当時、大阪から上京したばかりなので、僕らは百貨店の伊勢丹を知らなかったのですが、調べたらたしかに紙袋にそっくり。「これはいいこと聞いた!」と(笑)。

──「派手」という理由でたまたま選んだスーツが、そこまでお客さんの心をつかむとは!
多田さん:その年から始まった漫才師の日本一を決める「M-1グランプリ」の第1回大会でも準決勝まで進んだので、満を持して漫才のつかみで初めて「どーもー、伊勢丹の紙袋でーす」と言ったんです。そしたらドカンとウケて!でも「伊勢丹の紙袋」でつかみ過ぎたというか、つかみが笑いのピークになってしまい、その後はそれ以上ウケない。漫才をはじめても、僕の衣装を見てお客さんがザワザワ笑っている感じが続いて…。結果、決勝に進めませんでしたが。
スーツのおかげもあって、このときから上り調子だったのですが、翌年もその翌々年も、M-1は3年連続の準決勝止まり。当時の出場資格はコンビ結成10年目までだったので、3回目を最後に出場できなくなりました。
「伊勢丹柄スーツ」を脱いだ日
── せめてもう1年あれば…と悔しい気持ちがあったでしょうね。
多田さん:ドン底に突き落とされましたね。やっぱり、M-1で決勝に進んだコンビは仕事が増えて、どんどん売れていくんですよ。それを横目に見ながら、自分たちは仕事が減っていくわけですから、相当へこみました。M-1に出られなくなったことで、その後、ものまねやギャグを考えたり、「キングオブコント」に出たり、また、善しとお互いに「R-1グランプリ」に挑戦しました。
── 仕事が減って、ご自身に変化はありましたか?
多田さん:M-1が3年連続準決勝止まりだったので、つかみで使っていた伊勢丹の紙袋柄スーツも自分の中で飽きてしまって着るのをやめたんです。かわりに、流行りのジャケットを着たり、ネックレスをつけたりして、おしゃれ路線に変更していきました。