孤独になっても父を憎む気持ちはなかった
── その状況でしたら、弟さんのようになかなか家に帰ってこなくなっても不思議ではありません。りっぺさん自身は自暴自棄になることはなかったのでしょうか。
りっぺさん:どうしようもない孤独感にさいなまれることはありました。父は光熱費も払ってくれなかったから、電気やガスを止められることがあって。寒くてまっ暗な部屋のなかにひとりぼっちでいると、「これから私、どうなるんだろう」と不安でいっぱいになるんです。苦しい思いを発散するため、プラスチックのコップを床に投げつけていた覚えがあります。プラスチックを選ぶあたりは、ちょっと冷静ではあるんですが。心のどこかで「ガラスのコップを投げたら割れてしまう。もったいないし、片づけも大変」と考えていたんです(笑)。
でも、グレることはありませんでした。周囲には注意してくる大人がいないから夜遅くまで友だちと団地の階段で恋バナをするとか、生活リズムは崩れがちではあったんですが…。道をはずれるようなことはしようと思わなくて。義理のお母さんたちにかわいがってもらった記憶があって、破れかぶれになることがなかったのかもしれません。
── 大変な苦労をしてきたと思います。りっぺさんはお父さんにどんな気持ちを抱いていますか?
りっぺさん:すごく複雑なんですよ。好きなわけでは決してないけれど、大嫌いにはなりきれないのが本心です。父にものすごく振り回されたのはたしかです。いっぽうで、憎めないところもありました。お金はないのに、私たちに気前よくプレゼントしてくれることもあって。子どもの前ではかっこつけたかったのかもしれません。
たとえば、私があるとき「ピアノを習ってみたい」と言ったことを覚えていて、誕生日に電子ピアノをプレゼントしてくれたことがありました。お金の出どころは、女性から貢がれたものだったらしいんですけど…。それでもやっぱりうれしかった。父が好きな『いとしのエリー』を披露しようと練習したこともあります。でも、私と約束した日に父は女性とデートして、帰ってくれませんでした。平気な顔して裏切る人だから、いっそのこと、嫌いになれたらラクなのになあって。家族の情ってなかなか切り離せないものなんですかね。
高校進学の際、私は全寮制の高校に進学しました。それ以来、父にも弟にもほとんど会っていません。実母の記憶もないし、私は実の家族との関わりもすごく薄かった。でも、先ほども言ったとおり、義理のお母さんたちにかわいがってもらって、たくさんの愛情を注いでもらうなど、出会った人たちに恵まれたし、感謝したいですね。
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お金もなく、ガスも電気も止まっている生活ははたから見たら至極大変な状況。それでも、グレずに自暴自棄にもならず育ったのは、「いい人に恵まれた」ことが大きな理由なんだそう。中学生のときには強面な借金取りが家に押しかけてきてはその対応に迫られたそうですが、りっぺさんの惨状を見かねて、おにぎりを握ってきてくれたこともあったそう。「どん底のような生活でも、自分の人生は温かいもので構成されてきた。だからこの先の人生もきっと楽しくなる」とりっぺさんは確信しているそうです。
取材・文/齋田多恵 写真提供/りっぺ