両親の離婚は子どもに影響を及ぼすと言われるなか、お笑い芸人として活動するりっぺさん(39)は、生みの母親、育ての母親を合わせるとお母さんが6人もいたそう。生活も困窮し、電気やガスが止められる日々。それでも、りっぺさんは父を憎むまで嫌いになれなかったそうです。(全3回中の1回)

2歳のときに両親が離婚「次々と現れる新しい母」

── お笑い芸人として活動するりっぺさんは、2歳のとき両親が離婚。全寮制の高校に進学するまでの間、父親が再婚と離婚を繰り返していたと伺いました。その結果、実母も合わせたら、母親が6人もいるとのこと。そもそもなぜこうした状況になったのでしょうか。

 

りっぺさん:私は小さかったから、くわしいことはわからないのですが…。両親の離婚が決まったとき、実の母は子どもを引き取れない状況だったらしいんです。私と1歳下の弟は行き場がなく、施設に行く話もあったようで。でも、父方の祖父母がかわいそうだと言って、育ててくれることになりました。

 

最初は父、私と弟、祖父母で暮らしていたんです。ところが、あるとき父が知らない女性と一緒に暮らすことになって。祖父母の家を離れて、家族だけで住むと言い出しました。それで父と新しい母、私と弟の4人暮らしが始まりました。たしか小学校2年生のときだったと思います。

 

りっぺ
極貧生活を送っていた幼少期

── 新しいお母さんがきて、どんな気持ちでしたか?

 

りっぺさん:私は実の母のことを覚えていません。だから「新しいお母さんができるんだ。ほかの友だちと同じように、お父さんとお母さんがいる生活を送れる」と、当時はうれしく思った気がします。新しいお母さんは私たちをかわいがってくれて、仲良く暮らしていました。でも、父はテキトーでチャラかったんですよね。すごいモテる人でもあったから、次々と新しい女性が現れて…。気づくと一緒に暮らし始めたお母さんは家からいなくなっていました。小学2年生のときから高校進学のため私が家を出るまでの間、父が家に連れてきた女性は5人。だから、私には6人のお母さんがいることになります。

6人の母親「みんな優しかった」ことが救い

── お母さんが6人も!ふつうだと考えにくい状況だと思うのですが、りっぺさん自身はどう感じていましたか?

 

りっぺさん:みなさんすごく優しくていい人で、私たちのことをかわいがってくれました。「血のつながらない母親から意地悪された」という話をよく聞きますが、私はまったくそういった経験がありません。印象に残っているのは、私が14~15歳のときの6人目のお母さん。彼女は20歳くらいで、ほとんど年齢が離れていませんでした。お化粧などを教えてくれて、お母さんというより「お姉さん」の感覚でした。

 

どの女性も父と別れ、結局は家からいなくなってしまいます。いつも取り残された感覚で孤独を覚えることがありました。父は女性とつき合っては別れ、またほかの女性とフラフラと遊んでいたみたいです。まだ小さい私と弟がいるのに、家にほとんど帰らなくなりました。1000円札だけ置いて何日も家を空けることも当たり前で。まだ小学生の私と弟は、肩を寄せ合ってふたりで暮らしていました。

 

── 壮絶な経験ですね…。周囲の人からのサポートはなかったのでしょうか?

 

りっぺさん:学校などでは、私と弟は祖父母と一緒に暮らしていることになっていました。私も子ども心に、自分の置かれた状況を人に話してはいけないと感じていたからです。もしかしたら、周囲もわが家の状況を薄々は察しつつ、よけいな声をかけてはいけない、と遠慮していたのかもしれません。

 

りっぺ
全寮制の高校に進学したりっぺさん(写真右)

祖父母ともあまり会えなくて。というのも父から「連絡をとるな」と強く言われていました。詳細はわからないのですが、父と祖父母はけんかをしていたらしく、祖父母が家族のことに介入するのを父は嫌がっていました。

 

成長していくにつれて弟もグレていって…。ヤンキーとつき合うようになり、めったに帰ってこなくなりました。私も自分のことで精いっぱいで、弟のお世話も気持ちの余裕もなかったんだと思います。不安定な日々が弟の気持ちの中の何かを壊してしまったのかな…とも感じます。