介護はひとりでも大変。しかし、後藤舞さんは高校2年生のときから約16年間、父、祖父、祖母の介護を担い、今に至ります。キラキラとした学生生活とは無縁。家族の介護と病気に自分の時間を捧げてきた日々を伺いました。(全2回中の1回)

高校2年で突然、父の介護を担う日々に

── 17歳から33歳になる現在まで、父親、祖父、祖母と3人の介護に携わってきた後藤舞さん。最初に介護が始まったのは17歳のとき。肺がんを患っていた父を在宅で支えることになったそうですね。

 

後藤さん:発覚したときはすでにステージ4で全身に転移があり、手術が難しい状態でした。家族で話し合い、「できる限り自宅で過ごしてもらおう」と決めたんです。今思えば、ヘルパーさんに頼る方法もあったかもしれませんが、当時は母に知識がなく、家族で支える以外の選択肢が浮かばなくて。母には家計を支える大黒柱として働くことに集中してもらい、私と双子の姉が介護を担うことになりました。

 

── 突然の介護が始まり、高校生活が大きく変わったのでは?

 

後藤さん:考える余裕がないままに、怒涛の日々が始まりました。授業が終われば家に直行して父の世話。姉と協力しながら、夕食の準備や服薬の管理、おむつ交換などを済ませるころには1日が終わっていました。部活やバンド活動は続けられず、結局やめることに。周りはみんな受験や将来の夢についての話で盛り上がっているのに、自分だけまったく違う世界にいるようで。介護の重い話なんて、とても口にできる雰囲気ではなかったです。

 

ましてや「おむつ交換をしている」なんて言えるはずもない。言ったところで、わかってもらえないだろうなって。知っていたのは親友の2人だけ。担任の先生にも「父ががんで病状が厳しい」としか伝えませんでした。

 

── 介護のおむつ交換は、大人でも最初はとまどうことです。

 

後藤さん:最初はかなり気まずかったですし、「これを毎日、私がやることになるのか」と思うとプレッシャーでした。でも、父が生きていくには必要なことだから、恥ずかしさよりも「やらなくちゃ」と必死だったんです。

 

── 誰にも言えないまま続く日々は、孤立感も大きかったと思います。

 

後藤さん:気持ちのやり場がなく、授業中に突然、泣いてしまうこともありました。介護のことは周りに言ってなかったので、「変な子」と思われていたかもしれません。そんななか、唯一同じ目線で気持ちを共有できたのが双子の姉でした。ふたりでグチをこぼしたり、泣きながら支え合ったりして。姉の存在があったからこそ、なんとか続けられたんだと思います。

 

それでも、がんが足の先まで転移していく父が「痛い、痛い」と苦しむ姿を見るのは本当につらかったです。ふだんは占いなんて信じない父が「金の指輪が魔除けになる」と言い出したこともあり、人は大きな苦しみを感じたりすると、何かにすがりたくなるんだなと驚かされました。

 

父が亡くなったのは、介護を始めてから1年後。63歳でした。勉強に身が入らず、私は学校の成績も落ちて、志望する大学にはいけませんでした。ただ、滑り止めの大学には合格したので、環境のせいにしたくなくて、「これからの就活も含めて頑張るから見ていて」と、仏前で父に誓いました。