「見た目でわからない病気があると知った」の声に

── 具体的にどんなイベントを開催したのでしょうか?

 

塚本さん:私が患者会を立ち上げると、まちづくりやイベントで知り合った人たちが「自分にできることはない?」と、声をかけてくれました。みんなでアイデアを出し合って、ドキュメント映画の上映会、医師や国・県・市の議員を招いたトークセッション、重たい布団や服や箸を使った病状の体験コーナー、ネット上で啓発カラーの「ブルー」を使ったブルーフォトチャレンジ、フォトスタジオと美容専門学校、運送会社とのコラボで作ったラッピングトラックを全国で走らせたり。

 

塚本明里
塚本さんの顔写真を載せた啓発ラッピングトラックを全国に走らせた

ブルー御朱印の発行、岐阜鵜飼いの観覧船や保存してあるレトロ電車、柳ケ瀬商店街、岐阜市役所など、県内各地を筋痛性脳脊髄炎の啓発カラーの「ブルー」にライトアップしてもらったり、他にも数え切れないくらいいろんな企画をしました。それらをメディアに取り上げてもらうことでも病気の啓発になりました。

 

参加人数を数えてなかったので具体的な人数まではわからないのですが、朝から夕方までイベント会場がぎゅうぎゅうになるくらい人が集まってくれました。最初はひとりで活動をしていたのに、支援がどんどん広がって想像できない形で病気の啓発ができるのは、本当にありがたいです。

 

今では病気の啓発だけでなく、見た目にはわからなくても援助や配慮を必要としている方々が周囲の方に配慮を必要としていることを知らせる、「ヘルプマーク」のことも普及啓発しています。

 

── 塚本さんのチャレンジ精神は本当にすばらしいです。2017年にはミス・ユニバース・ジャパン岐阜大会にも応募したとうかがいました。

 

塚本さん:私が出場することで、病気のことを少しでも知ってもらえたらと思い、出場しました。ウォーキングなどの練習を重ね、岐阜大会ではWEB賞をいただいて。この結果がネットニュースになったとき、「初めて筋痛性脳脊髄炎について知った」「見た目でわからない病気があると知った」といったコメントがたくさん寄せられました。病気のことを少しでも知ってもらえたことに、手応えを感じました。

 

病気を抱えながらいくつもの挑戦ができるのは、たくさんの人たちの理解と協力があるからです。ミス・ユニバース・ジャパン岐阜大会では本来はライバルであるはずのほかの参加者が車いすを押してくれたり、荷物を運んでくれたりしました。また、患者会「笑顔の花びら集めたい」のイベントでも、たくさんの人が協力してくれました。

 

そして、いつも私につき添ってくれる母の存在にも助けられています。子どものころから私は好奇心旺盛でした。母はいつもやりたいことをやらせてくれました。高校2年生で病気になってから1年半くらい原因がわからなかったときも、母が何軒も病院を回ってくれるなど、いつも私のことを考えてくれている。私がこんなにチャレンジできるのも、母の支えがあってこそだと思っています。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/塚本明里