「俺はお前たちのために命がけで働いてる 」という言葉の裏で──。日本ではじめて「離婚カウンセラー」を名乗り、夫婦問題の専門家として活躍中の岡野あつこさん。この道を歩みはじめたきっかけは自身のドロ沼離婚の経験が大きかったそうです。(全3回中の1回)

交際中の彼を追い、京都の大学に急きょ進学を決め

岡野あつこ
絶望的な人生経験を経てもなお、「自分は強運の持ち主」と語るポジティブな岡野さん

── 1991年に日本ではじめて「離婚カウンセラー」を名乗り、夫婦問題の専門家としてメディアでも活躍中の岡野あつこさん。35年間で約4万人もの相談を受けてきましたが、ご自身の人生もまた波乱に満ちたものでした。激動の人生を生き抜く強さは、お母さんから受け継いだものだったとか。とくに印象に残っているエピソードはありますか?

 

岡野さん:今でも忘れられないのが、小学5年生のときの出来事です。家はもともと裕福な家庭ではなかったのですが、近所の悪ガキに「岡野の家はボロだ」とからかわれ、悔しくて泣いて帰ったんです。すると母は、すぐに知り合いに掛け合って土地を借り、親戚中からお金を工面し、新築の一戸建てを建ててしまった。娘に劣等感を抱かせまいと、パートを頑張り、家計を支え続けました。いっぽうで、父は気が小さく、借金に驚いて寝込んでしまったほど(笑)。気丈で優しい母の姿は、今でも強烈に焼きついています。

 

── そんなお母さんゆずりの行動力が発揮されたのが、進路の決断です。高校卒業後、交際相手を追って京都で暮らしたそうですね。

 

岡野さん:そうでしたね。当時、文通から交際に発展した男性が、京都大学に進学することになり、「京都に来ないか」と誘われたんです。私はすでに別の大学に合格していたのですが、それを蹴って立命館大学を急きょ受験。親は大反対しましたが、何とか説得し、彼を追って京都で暮らすことになりました。ところが、1年もたたないうちに、関係は終わってしまいました。お弁当を作ったり、身の回りの家事をしてあげたりと尽くしまくっていたら、うっとうしがられ、フラれてしまったんです。そこで、思いきって人生変えようとツンデレ路線に走ったら急にモテだして(笑)。大学時代は遊びとバイトに明け暮れました。家庭教師や飲食店、スナックのバイトで月20万くらい稼いでましたね。

 

── その後、婚約破棄を経て、結婚されています。どんないきさつがあったのでしょう。

 

岡野さん:京都まで追いかけた彼にフラれた後、大学時代に別の人と交際をはじめたんです。その彼とは大学卒業後に婚約し、千葉の松戸で同棲生活を始めたのですが、刺激のない日々に物たりなさを感じてしまい。つい京都の元カレに電話をしたら、「1年後に迎えに行くから待っててほしい」と言われ、その気になってしまったんです。結局、婚約は破棄。優しくて真面目な人だったので、後ろめたさを感じていました。

 

ところがある日、見知らぬ女性から電話があり「ありがとう。あなたのおかげで私たち結婚することになりました」って言うじゃないですか。要は、彼も浮気をしていたんです。「お礼が言いたいから会いましょう」と誘われ、なぜか一緒に並んでお茶を飲みました(笑)。その1年後、京都から上京した元彼と結婚。ですが、それが波乱の結婚生活の幕開けでした。