わが子が「私を信用してくれてる」とうれしかった出来事

── その状況では、日々の子育ても大変だったのではないでしょうか。

 

丘咲さん:そうですね…。ただ、私が親にされてきて嫌だったことはしないとか、してほしかったことをするっていうのは、すごく意識していました。ご飯は必ず一緒に食べるとか、家族の悪口は言わないとか。

 

あと、息子の前では絶対に笑顔でいようと思っていました。たとえば、朝小学校に登校するのを見送るときとか、正直起き上がれる体調じゃないわけです。でも、朝ごはんはレトルトを使ったとしても必ず用意して、家を出るときはしんどいけど全力の笑顔で見送る。息子が帰ってくると思うとしんどくなる日もありました。帰ってきたら元気なふりをしなきゃいけないから。それでも、何ごともなかったように笑顔で迎える。それは頑張りました。それと、今もですが、しつこいくらい「私がどんなにあなたを大好きか」を繰り返し伝え続けていましたね(笑)。とにかく言葉で伝えることを大切にしていました。

 

丘咲つぐみ
税理士時代、子育てをしながらがむしゃらに働いていた当時の1枚

子どもだから思わぬことをやらかすし、怒りまかせになってしまう瞬間がなかったとは言えません。でも、必ずその日のうちに仲直りしようと決めていました。握手とハグをして、もう仲直りねって(笑)。今は息子も元気そうにしていますが、当時のことがトラウマのような感じでいつ出てくるとも限らない。だから、いつでも息子を信じて味方でいたいという気持ちでいます。

 

── お子さんとの強い信頼関係を感じます。

 

丘咲さん:以前、すごくうれしかったことがあって。私が世間に自分の虐待のエピソードを初めて語ったのは、『街録ch(チャンネル)』さんだったんです。街行く一般人にインタビューし、生い立ちなどを聞く動画チャンネルなのですが、極力息子のことは話さないようにしたものの、私の過去はある程度表に出るので、内容確認の依頼があったときに息子に相談しました。取材を受けることは先に伝えていたけど、自分の母親のこういう内容が出たらイヤだと思うなら流さないでもらうし、イヤなところはカットしてもらえるから見てくれる?って伝えたんですね。

 

そうしたら、息子が「僕がこんなにも信用してるお母さんが、僕の印象が悪くなるようなことを言ってるはずないから、僕は見る必要ないよ」って言ったんです。そのときは本当にうれしかった。私の思いはちゃんと息子に伝わってたんだなと、初めて実感できた出来事でした。

 

 

20年以上にわたる虐待の日々から抜け出すも、その影響を色濃く受けた暗黒の30代をお子さんと2人で生き抜いてきた丘咲さん。「死にたい」という思いを長年抱えていましたが、40歳を過ぎたころ、あるメンタルトレーナーとのやりとりがきっかけで「生きてみたい」と初めて思えるように。過去の自分の行動を認め、心のなかで感謝の言葉をかけ続けることで、「自分は生きる価値がない」という四十数年の思いを覆し、今は「ネガティブなときの自分さえも好き」と思えるようになったそうです。

 

取材・文/高梨真紀 写真提供/丘咲つぐみ