物心つく前から23歳で実家を出るまで、両親の虐待に耐え続けた一般社団法人Onara代表の丘咲つぐみさん。現在、虐待に遭った人たちを支える活動をしています。23歳で結婚したものの長年の虐待による複雑性PTSDに苦しみ、離婚を余儀なくされた経験があるそうです。
※本記事は「虐待」「自殺」に関する描写が出てきます。体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。
20歳を過ぎて初めて精神科を受診
── 幼少期の記憶がなくなるほど壮絶な虐待に遭い続け、20歳のころには、医師からうつ病と不安障害、パニック障害など診断を受けたそうですね。

丘咲さん:そうですね。ほかにもいくつかの病名を診断されたのですが、正直、自分では実感がなく、よくわからないんです。ただ、見方を変えると、病名がついてよかったのかもしれません。というのも、私が自分から望んで病院に行ったわけではなかったんです。
── どういうことでしょうか?
丘咲さん:実は高校生のときから脊椎の希少病を患っていて、入院を何度も繰り返していたんです。なのに、レントゲンやMRIを撮っても、病名が定まらなくて。医師には、「椎間板ヘルニアにしては症状が強く出すぎている」と言われていました。一度10時間にわたる手術を受けたのですが、それでも根本の原因は取り除けなかったようで、症状も全然改善されませんでした。
そのとき、整形外科の医師に「どこも悪くないのにこんなに症状を訴えるのは、メンタルの問題かもしれない」と言われて。あるとき、自宅で痛みに耐えられなくなり、体が動かなくなったので、救急車でかかりつけの整形外科に運んでもらったんです。そうしたら救急車から降ろしてもらえず、そのまま精神科の病院を受診することになりました。
── 整形外科を受診するはずが、精神科に受診することになったんですね。
丘咲さん:「体が痛いって言っているのに、どうして!?」と納得できなかったのですが、そのときにカウンセリングを初めて受けることになりました。それがきっかけで精神疾患の診断がついたんです。当時は、「わかってくれない!」と思うことも正直、何度かあったけれど、当時は私の話を聞こうとしてくれる唯一の人だったと思います。カウンセリングは10年前に終えたのですが、その臨床心理士の方とは、20歳を過ぎてからのいろいろな局面を知ってくれている人として、いまでもつながっています。
あるとき、その臨床心理士の方が、母を面談に呼んで母の気持ちを聞こうとしてくれたんです。「私が母とのことで苦しんでいる」と伝えてくれたんだと思います。幼少期から私への虐待が当たり前だったけれど、世間体を気にしていた母からすると、そこに呼ばれたこと自体、納得のいかないことだったのでしょう。カウンセリングが終わると、口も開かずブスっとした顔でひとり部屋を出て帰ってしまいました。私を振り返ることもなく。それでも、その方は、私が母と向き合う場が必要だと思ってセッティングしてくれた。そういう人がいてくれたことは、私にとって大きな体験だったと思います。