2010年、マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦中だった間寛平さんを突如襲った「前立腺がん」。マラソンを一時中断し、治療をすることになった寛平さんを支えて完走まで全力でサポートしたのが妻・光代さんでした。結婚47年目を迎えた夫婦が、今改めて思うことは。(全4回中の4回)
「完走するまで日本に帰らない」

── 2010年に寛平さんは前立腺がんを発症されました。発覚したときの経緯を教えていただけますか?
間さん:発覚の5年ほど前、当時受けた血液検査で「数値が少し気になるので、何かあったら放置せずすぐ来てくださいね」と先生から言われていました。でも、本人は「痛い検査をするのが嫌だ」と言って、多少の不調でも病院に行かなかったんです。
ちょうど2008年の12月からマラソンとヨットで世界を一周する「アースマラソン」に挑戦中だったのですが、2010年の1月に道中のトルコで「ちょっと排尿の調子が悪い」と言うので、検査をすることになりました。アースマラソンって、最小限の荷物で移動するため、ヨットには2か月分程の食量しか乗せられません。水分も節約しながら飲んでいる状況でしたから「水分不足による症状かなぁ」と本人は言っていたんですが、どうも違う。そしたら検査の結果「おそらく前立腺がんだろう」と診断されました。
── 前立腺がんの可能性が高い状態でマラソンを継続するのは難しそうですよね。
間さん:なので、いったんマラソンを中断して日本に帰って手術と治療をすることを提案したんですけど、本人は「帰りたくない」と。アースマラソンがスタートしたときに「成功するまで日本には帰らない」と言って出てきたから帰るわけにいかないというわけです。寛平さんは言い出したら聞かない性格なので、私がレントゲン写真を持って帰国し、意見を求めるべく日本各地の専門医の先生を訪ねて病院をまわりました。
先生方には「マラソンがあと1年半くらいかかるのですが、それから帰国して治療というのは難しいですか?」と聞きましたが、「すぐにでも手術したほうがいい」という意見が多数でした。「これは困ったな」となったときに、当時のマネージャーさんがアメリカ・サンフランシスコに日本人で前立腺がんの名医がいると、探して来てくれたんです。寛平さんも「日本じゃないなら」ということで了承してくれたので、サンフランシスコで治療を受けることになりました。
── アメリカでの治療はどのようなものだったのでしょうか?
間さん:結局、手術ではなく、放射線治療を週5日、5週間、合計25日間受けました。その間は病院の近所にアパートを借りて2人で2か月ほど暮らしていました。毎日、治療を受けた後はぐったりしてしんどそうで、えずくし、起きられないし…という状態でした。最後は「組織内照射療法」といって、一時的に前立腺内に針を刺し入れ、放射線を照射する治療を受けました。本人いわく、腰に麻酔を入れるのがつらかったと。おかげさまで今は寛解していますけど、相当つらかったと思います。
── ご本人はもちろんですが、闘病を支える側も大変だったことと思います。つらい治療を頑張っておられる寛平さんには、どのような言葉をかけられましたか?
間さん:「あなたはこれまで真面目に一生懸命生きてきたし、人を騙したこともないでしょう?あなたは騙されるほうでよかった。うしろめたいことがいっさいないから、神さまが見てくれてるよ」って。騙したほうだったら、「バチが当たったんかな?」って思うじゃないですか。でもそんなことをするような人じゃない。「だから絶対よくなる」って言い続けましたね。
サンフランシスコでの生活は英語に苦戦しながらも治療に明け暮れ大変でしたけど、2人で頑張れたし、前向きにとらえると濃い、いい時間を過ごせたなと思います。そこから2、3週間でアースマラソンに復帰しました。いろいろありましたが、2008年12月からスタートして2011年の1月まで、2年1か月かけて4万1000kmに及ぶ長い旅も完走することができました。