結婚前に負った多額の借金を返済した直後に阪神淡路大震災で家屋が全壊。さらに2010年には世界一周するアースマラソン中に前立腺がんにも襲われた間寛平さん。波乱万丈な人生を妻・光代さんと生き抜いてきましたが、家庭では父親としてまた違った一面があって── 。(全4回中の3回)

「お父さんのおかげ」母から学んだ子育て

間寛平、間光代、間慎太郎
娘の結婚式で息子の間慎太郎さん(左)と

── 間寛平さん・光代さんには、娘さんと、シンガーソングライターとして活躍されている息子の間慎太郎さんがいらっしゃいます。お子さんたちが小さいころはどんな子育てをされていましたか?

 

間さん:寛平さんは多忙であまり家にいませんでした。また、娘が小学5年生、息子が小学3年生のころは活動拠点が東京だったため、子どもたちがお父さんと会えることが少ない時期もありました。不在の間、私は寛平さんが出演しているテレビを見せながら「お父さんは一生懸命働いてくれている立派な人」とか「今生活できているのは、お父さんのおかげやで」と言ってきたので、たまにしか会わないお父さんでも子どもたちからはすごく尊敬されていましたね。

 

今とは時代が違うということを前置きさせてもらいたいんですけれど、母からは「男性のことは敬いなさい」と教えられてきました。私の母は早くに父を亡くしているので、10年間しか結婚生活を送っていないんですよね。 だからうちの母からしたら、父との思い出がさらに美しいものとなり、尊かったんでしょうね。そんな母から「男性は偉いのよ」「女性は3歩下がりなさいよ」と、ずっと言われて育ちました。父がいなかったから私も「お父さんとはそういうもの」という想像で成長してきたので、自分の子育てにも「お父さんのおかげ」ということを伝えたいという意識があったんだと思います。

 

── いわゆる単身赴任のような時期があったとのことですが、ご家族で東京についていくということにはならなかったのですか?

 

間さん:子どもがまだ小さかったのと、私の母や寛平さんの両親が大阪にいましたので、大阪を離れるという発想はなかったですね。寛平さんは大阪でレギュラー番組を持っていたので、大阪に定期的に帰ってくる状況でもありましたし。夏休みになったら子どもたちと東京に行って、狭いワンルームのマンションで一緒に過ごしたりもしましたよ。

 

── お子さんたちは、尊敬する寛平さんが東京から帰ってくる際、どんな様子でしたか?

 

間さん:家では息子だけが「お父さん」って呼んでいて、私と娘は寛平さんのことを「かんちゃん」って呼んでいるんですね。なので親しみがあって、威厳があるという感じではないんですが(笑)。「かんちゃんが帰ってくるよ!」ってなると、子どもたちもきちんとしないといけないと思って、散らかったおもちゃとかをすぐに片づけたりしていました。寛平さんはああ見えて、家の中が片づいてないといけないタイプの人なんですよ。

あの名ギャグは間家の日常から生まれた

── 寛平さんは、おおらかな印象で、あまり気にされない方かと思っていましたが、意外です。芸人さんですからおうちのなかでは、家族間のコミュニケーションもすごくにぎやかそう…と勝手にイメージしてしまいます。

 

間さん:ほんとうに「寛平さんだから家でもおもしろいんでしょ?」とかってよく言われるんですけど、むしろ家族でいちばんおとなしいと思います。娘は私より1000倍くらいにぎやかですし、息子も割ととんちが効いていて、頭の回転やしゃべりが速いんですよ。なので寛平さんは率先してしゃべるというより聞き役ですね。家では子どもたちの意見もよく聞きますね。

 

── お子さんの意見をよく聞くというお話で思い出したのですが、そういえば寛平さんの定番ギャグ「血ぃ吸うたろか~?」は、実は慎太郎さんがネタ元だったそうですね?

 

間さん:そうです、そうです。昔、夏はクーラーがある部屋に集まって家族4人で寝ていたんです。そのときに蚊が飛んでいて、イライラした慎太郎が「こっちが血ぃ吸うたろか!?…って、今のおもしろくない?」って。寛平さんは「単純やからあかん」と言っていたのに、後日テレビを見ていたらギャグにして披露していたっていう(笑)。寛平さんは、このギャグができるきっかけにもなったので「家族で寝るのもいいな」と言ってましたけど。