2021年にAKB48を卒業し、現在はタレントとして活動する大家志津香さん。AKB48では12年間活躍してきましたが、下積みは長く、デビュー後もメンバーからはずされるなど悔しい経験が多かったそう。しかしある言葉が彼女を大きく変えて──。(全3回中の1回)
なぜか私だけがデビュー取り消しになった

── AKB48ではチームAメンバー昇格から12年間もの長い間在籍し、活躍されていました。しかし、順風満帆とはほど遠いアイドル時代を送ってきたとのことですが…。
大家さん:そうですね。デビュー前もデビュー後も、悔しい想いをたくさんしてきました。2007年、16歳のときに「AKB48 第一回研究生オーディション(4期生)」で合格したのですが、同期や後輩が次々とデビューしていくなか、私はずっと研究生のままで、結局デビューまで2年以上かかりました。
── 大家さんは福岡ご出身です。デビューのタイミングで東京へ上京したのですか?
大家さん:合格した当時は地元の福岡に住んでいて、飛行機で東京のレッスンに通っていたのですが、しばらく経ってから、AKB劇場公演のバックダンサーとしてデビューすることになり、後輩で5期生の指原莉乃ちゃんや北原里英ちゃんと同じタイミングで上京しました。さらに2人が加わり、AKB劇場公演にデビューする予定の5人で一緒に東京で住むことに。
でも、AKB劇場公演のバックダンサーとしてデビューする予定が、オーディションのやり直しなどがあり、同居メンバーの中では私以外の4人はデビューできたのですが、私だけうまくパフォーマンスができなかったのか、デビューが取り消しになりました。後輩はデビューが決まったのに私だけが落ちてしまい、プライドはズタズタに…。とても悔しかったのですが、帰る場所は4人と一緒に暮らしている家しかなくて、あのときは本当につらかったですね。私がみんなのいる家に帰っても気を使わせてしまうだろうし、みんなに「おめでとう」と言える心境でもなくて。結局、公園にいた私を4人が私を迎えに来てくれました。今考えればすごく素敵な仲間なのですが、当時はそこまで思える余裕がなかったですね。
私って当時は本当にメンタルが弱かったんです。そんな私を、この4人が「チームしーちゃん(大家さん)ハートホスピタル」として、よく支えてくれました。あと、つらいときは母に電話をしていたのですが、そのときに「本当にダメだと思ったらいつでも帰ってきていいよ」と。その言葉がつらいときの支えになっていたと思います。いつでも帰れるならもう少しだけ頑張ってみようと思って続けられていましたね。
── それはかなり悔しい経験でしたね。
大家さん:ただ、そのときに壁にぶつかったからこそ、いまの私がいます。というのも、バックダンサーは6人いて、それぞれに異なる6パターンの振りつけがあるのですが、落とされてズタボロ状態で6パターンすべて覚えたんです。
当時、すでに指原莉乃ちゃんや北原里英ちゃんは注目度が高く、きっとほかの仕事が入って、ライブを欠席することになるだろうと思って。それで運営側に「すべての振りつけを覚えたので、誰かが出られないときは出してほしい」と訴えました。案の定読みは当たり、その後すぐにほかのメンバーの代わりとしてバックダンサーデビューすることができました。あのときの経験は、その後の「落ちこぼれアイドル時代」を乗り越えるうえで大きな支えになったと思います。