6年の交際を経て、昨年12月に結婚したトライアスロン選手の佐藤佳子さん。今年11月には佐藤さんの提案で、夫の地元・岩手県陸前高田市で結婚式を行うことに。そこには東日本大震災で父を亡くしている夫への思いがありました。(全2回中の2回)

震災で亡くなった義父のために陸前高田市での結婚式を提案

佐藤佳子
海外で開催されたトライアスロンの大会で奮闘する佐藤さん

── 砲丸投げ選手の佐藤征平さんから何度も交際を申し込まれた結果、つき合うことになったそうですね。「この人と結婚したい」と思うようになったのはいつごろだったんですか。

 

佐藤さん:夫は2011年の東日本大震災時に岩手県・陸前高田市で父親を亡くしています。将来の家族像などを話すたびに私は、亡くなったお父さんへの彼の悲しみを感じていました。震災当時、私は高校生でしたが、被災地から離れた場所に住んでいて被害にも遭わなかったですし、当事者の本当の悲しみがわかりませんでした。ですから彼に対してもどう寄り添えばいいのか、最初は分からなかったんです。

 

ただ、つき合っていくうちに、次第に、私には想像できないほどいろいろなものを背負った夫を支えることはできないかもしれないし、その自信もなかったけれど、一緒に人生を歩みながら2人で夢をつくっていけたらいいなと思うようになって。それは恋人よりも、夫婦としてのほうができるんじゃないかって結婚を意識するようになったんです。

 

── 結婚後、一緒に暮らし始めて初めて気づいたこともあると思いますが。

 

佐藤さん:育った環境が異なるので当然なんですが、自分としては当たり前だと思っていたことがそうではなくて戸惑うことはありましたね。たとえばタオルひとつにしてもそう。彼は茶色のバスタオルを使ったらフェイスタオルも茶色にするなど、色を揃えたいタイプなんです。普段の洗濯は洗濯用石けんを使うので、クエン酸も入れて洗うとか。

 

食事は作ってくれますし、皿洗いは苦手だけど、洗濯、掃除など積極的にやってくれるのでありがたいですね。まったくやってくれない人だったら、きっとパンクしていたと思います。

 

── 夫婦で決めているルールは何かありますか。

 

佐藤さん:夫は学生時代の寮生活の名残りで当たり前のようにやっていますが、私が皿洗いをしたら彼は洗濯物をたたむとか、どちらかが動いたらもうひとりも動く。それがふたりの暗黙のルールになっているかもしれません。お互いの苦手なことはだいたい把握できてきたので、それをカバーしながらうまく家事を成り立たせています。実は今年、夫婦それぞれ入院したことがあったんです。そのときはお互いの存在の大きさを痛感しましたし、ひとりきりだと寂しいんだなと感じましたね。

 

── そんなおふたりがケンカをするのはどんなときでしょうか。

 

佐藤さん:交際開始から6年間でケンカは5回もないと思います。結婚直後に1度、お互いに疲れていたときに、ささいなことでケンカに発展してしまったことはありましたけどね。ケンカすると夫に、私からどういうことで注意されたとか、自分が何がいけなかったのかなど、内容を全部メモされてしまうので、なるべくケンカにならないよう気をつけています。メモされるのは私が悪いからとわかっているし、それに向き合わなければいけないこともわかるので。向こうに非があるときは、言ったそばからすぐに直すんですよ。たとえば水道の蛇口の締め方が緩くて水がポタポタ落ちていたときに「力があるんだからギュッと閉めて」と注意したらすぐに直すとか。

 

── 結婚してよかったと実感するのはどんなときですか。

 

佐藤さん:「結婚は喜びは2倍に悲しみは半分に」とよく言いますが、本当にその通りだと思います。それにひとりじゃないんだなという心強さを日々感じますね。だからこそ相手のことを大切にしたいし、お互いのために何かできたらと思うようになりました。それは彼に対してだけでなく、彼の家族に対してもそうですね。

 

── 今年11月には旦那さんの出身地、岩手県陸前高田市にある気仙大工伝承館で結婚式を行う予定だと伺いました。

 

佐藤さん:市役所の職員だった夫の父は東日本大震災で避難誘導中に亡くなったんです。その後、義母から義父が家が好きだったということを聞いて。天国にいる義父はもちろん、義母や家族、そして夫の地元の町の方々に喜んでいただきたくて、結婚式を提案しました。私は2011年の震災当時、高校生ながら何もできないという不甲斐なさを感じていたので、こういった形ですが夫の地元の方々に元気になってもらえたらうれしいなと考えています。