妻の私が言うのもなんですが…

── 競技は違っても旦那さんから学ぶことが大きかったんですね。
佐藤さん:夫は日本選手権でもメダルを獲る実力を持っていて、当時、それほどのレベルの選手が教えてくれる環境が私の周りにはあまりいなかったんです。夫は大学に練習に来ていた高校生に対しても一生懸命に教えていましたし、私にもいろいろなことを教えてくれました。そのアドバイスのおかげもあって、私の記録がどんどん伸びていったんです。
そういった意味では、トライアスロンをはじめて競技を続けてこられたのは夫の存在が大きかったと思います。競技を始めたころは記録会で設定タイムが切れないことが何度もあって、そのたびに辞めようと悩んだことがありました。そんなときに力になってくれたのが夫でした。きっと彼がいなかったら壁も乗り越えられなかったと思います。
── つき合い始めるまでは旦那さんから何度もアプローチがあったんですよね。
佐藤さん:一緒に食事に行くと、毎回のように「つき合って」と言われていました(笑)。それが普通になっていたので、本気か嘘かわからなかったんですよ。「それ、この前も言っていたよね」みたいな。つき合うまでに最低でも10回以上は告白されたと思います。
── 振られても告白してくるメンタルの強さ、旦那さんの思いの強さを感じます。
佐藤さん:妻の私が言うのもなんですが、へこたれない、粘り強い姿勢はすごいですよね。
── 最終的には旦那さんの熱意に押しきられて交際を?
佐藤さん:いえ。実は2019年の始めごろに疲労骨折がわかったんです。疲労骨折をしていたことで、自信を失ってしまいました。恋愛をしている場合じゃないなと思い、夫にはもう連絡しないでと伝えたんです。それでも何度もばったり会って、この人と一緒にいることで成長できるかもしれないと思い始めました。
私から連絡しないでと言ったんですが、その後、砲丸投げの練習をする夫の姿を見て、寄り添ってくれる彼の姿は私にとって大きな存在だと胸を打たれました。それで私から食事に誘ったんです。そこで私の思いを伝えようとしたんですが、先に夫から告白され、この日からおつき合いが始まりました。
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夫・征平さんからのアプローチの末、交際をスタートさせた佐藤さん。6年の交際期間を経て、2024年12月にめでたくゴールイン。征平さんがお父さんを東日本大震災で亡くし、心を痛めてきたことを知った佐藤さんは、何かできることはないかと、夫の地元・岩手県陸前高田市にある気仙大工伝承館での結婚式を提案したそうです。式は今年の11月に執り行われる予定です。
取材・文/石井宏美 写真提供/佐藤佳子