突然、母や父が倒れて要介護5になったら。パニックになる中で、どうやって介護すべきかを考えないといけません。俳優の藤真利子さんに、そのときは突然やってきました。命は最優先で大事だけど、お金はもつのか…介護の現実は厳しいものでした。(全3回中の1回)
ある日、母が右半身不随になった
──『ドクターX』シリーズをはじめ、ドラマや映画、舞台でおなじみのベテラン女優、藤真利子さん。一時お仕事を控え、お母さんを自宅介護していたそうですね。
藤さん:母が脳梗塞で倒れ、半身不随になったのが介護のきっかけでした。あれは忘れもしない、20年前の6月19日のこと。私は50歳で、明治座で舞台『五瓣の椿』(ごべんのつばき)に出ている最中でした。いつもは家から明治座へ直行直帰していたけれど、この日は私の彼が舞台を観に来てくれていて、終演後、一緒に食事をしていたんです。だから、この日に限って帰りが少し遅くなってしまって。
家に帰ると裏口の外灯がついていなくて、家に入っても真っ暗。奥の炊事場からはジャーッと水音が聞こえてきました。何ごとかと思い、暗闇によく目をこらすと、母が倒れているではないですか。その少し前、母は転んで骨を折り、自宅療養をしているところでした。きっと滑って転んだのだろうと思い、あわてて起こそうとしたけれど、起きあがりません。なんだか様子が変で、だらんと力が抜けてしまっている。これはおかしいと、震える手で119番を押しました。けれど、救急車がなかなか来ないんですよね。待っている時間が本当に長く感じて「まだかまだか」という感じでした。
到着した救急隊の方からは「転んだのではなく、たぶん脳梗塞か脳の病気だと思います」と、言われました。母は慶応病院にずっとお世話になっていたので、「カルテがあるから、とりあえず慶応病院に連れていってください」と伝えました。いざ病院で検査をしたらお医者さまが出てきて、「今日を越せるかどうか」と言われてしまい…母は集中治療室へ。私と母は一卵性親子といわれるくらい仲がよく、母がいないと私は生きていけません。母がいなくなったらどうしようと、もうパニックです。

母はなんとか持ちこたえてくれました。けれど、脳梗塞による右半身不随で、しゃべることができない状態でした。寝たきりで介護が必要になるので、これから先、母をどうするか、私が決めなければなりません。まず、どういう施設があるか調べることから始めました。
介護という言葉自体があまり一般的ではなかった時代です。情報が少なく、役所に何度も通いました。母を受け入れてくれる施設はないか、電話もかけまくりました。施設はいまほどたくさんなかったので、もう無我夢中でしたね。でも、母を受け入れてくれるという施設はなかなか見つかりませんでした。