平成の名曲を紡ぎ出したディーバ・小柳ゆきさん。鮮烈なデビューを果たし、曲は大ヒット。はたからは順風満帆に見えていましたが、小柳さん自身は歌手としての実力不足を痛感し、「歌うのがつらくなった」葛藤があったそうです。(全3回中の1回)
「肺活量が鍛えられて」剣道にはまった中学時代
── 1999年、現役女子高生シンガーとして『あなたのキスを数えましょう』で鮮烈なデビューを飾り、その圧倒的な歌唱力と存在感で一世を風靡した小柳ゆきさん。デビューのきっかけとなったのは、中学生のときに受けたスカウトでした。しかも、以前にも一度声をかけられた相手だったそうですね。そもそも最初のスカウトを断ったのは、なぜだったのでしょう?
小柳さん:小学5年生のころから「将来は歌手になりたい」と思って、家にあったテープレコーダーで歌の練習をしていました。12歳のとき、レコード会社のオーディションで決勝まで進み、音楽事務所の方から声をかけていただいたんです。ただ、ちょうどそのころ、剣道がおもしろくて夢中になり始めていて。顧問の先生から「お前はやれば強くなる、筋がいい」と言われたこともあって、歌手への道はいったん脇に置いて、中学時代は剣道に集中することにしたんです。剣道部では県大会にも出場し、団体戦では3位までいきました。
── その間、歌手への思いは封印していたのでしょうか?
小柳さん:歌手への夢をあきらめたわけではなかったので、歌の練習は続けていました。じつは、剣道の稽古が発声のいい練習になっていたのかもしれません。動きながら大きな声を出す「声出し」の稽古では、顧問の先生から「小柳の腹から出る声を見習え!」と、みんなの前でよくほめられていました(笑)。

── パワフルな歌唱力のルーツが、まさか剣道の稽古にあったとは(笑)。きっと小柳さんの「メーン!」が体育館に響き渡っていたのでしょうね。
小柳さん:おかげで、肺活量も鍛えられました。その後、中3の終わりごろに、以前スカウトしてくださった方から「もう一度歌手への道を考えてみませんか?」と、連絡をいただいて。ずっと待っていてくれたことが、何よりうれしかったです。そこから2年ほどかけて歌声を収めたデモテープを作り、デビューに向けて動き出しました。