介護はゴールが見えない…だからこそ
── 近所の人たちに見守ってもらっていると感じるのは、どんなときでしたか?
山田さん:僕は毎朝、母と一緒に手をつないで公園を散歩していました。一緒に「赤とんぼ」や「青い山脈」などの詩を歌っていると、ご近所の人が「お母さんのお世話、えらいですね」「息子さんと一緒なんてステキね」なんて言ってくれました。
あるとき、わが家の玄関のドアノブにみかんの入った袋が掛けられていたことがあって。そっと差し入れをしてくれたんですね。母が徘徊しているときも、さりげなく様子を見てくれていたようです。ご近所にある、以前からよく行っていた焼きそば屋さんにもよく食事に行きました。すると、本人にも「知り合いにいいところを見せたい」というプライドがあるようで、いつもよりシャンとするんです。

── 気づかってくれる人の存在はとても心強いと思います。
山田さん:実際に経験してみてわかったけれど、介護ってゴールが見えません。だから、ひとりで抱えこむとすごく苦しくなっていく。周囲の人たちの助けを借りるのがとても大切だと感じます。だからといって、頼りっぱなしなのもよくない。自分もできることは頑張り、手伝ってもらう部分はお願いするというふうに、チームのように協力し合う関係がベストではないかと思います。信頼関係を築くことが大事な気がします。
── 頼るところは頼り、自分ができることには取り組むというバランスが大事なんですね。
山田さん:あとはやっぱり楽しむこと。介護のつらい部分に目を向けるより、楽しんだほうがいい。先ほどの母をお風呂に入れるための演技なども「どんなに言ってもお風呂に入ってくれない」ことばかりに目を向けると、苦しくなるだけ。悩むよりも「よし、どうしたらその気にさせられるか、いいアイデアを出すぞ!」と思うほうがやる気が出るし、介護する側も楽しめます。
母は2023年、90歳で亡くなりました。母が認知症になったことで、僕は周囲の優しさ、手を貸してくれる人のありがたさなど、たくさんのことを学びました。全力で向き合ったからこそ、介護をやりきった思いがあるので、後悔はまったくありませんね。
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「お義母さんの介護は実の息子のあなたがしたほうがいいと思う」という妻の言葉で後悔なき介護をまっとうした山田さん。実は妻の言葉がきっかけで人生が変わった出来事がもうひとつありました。それが番組の企画で46歳で東大受験に挑むというものでした。8年に及ぶ勉強の末、結果的には受験を断念することになりましたが、この経験がなければ今の自分の芸は確立できなかったと実感しているそうです。
取材・文/齋田多恵 写真提供/山田雅人