偶然を装いながら母の徘徊につきあった日々
── 奥さまからはどんなことを言われたのでしょうか?
山田さん:「お義母さんの介護は実の息子のあなたがしたほうがいいと思う。お義母さんもうれしいんじゃないかな。それに、やるべきことにきちんと取り組んだほうが、お義母さんが亡くなったときに後悔しないよ」と言われました。
実際に自分の親の介護をした妻からの言葉は、とても説得力がありました。それまでどこか他人ごとだった介護が「自分ごと」にとらえられた瞬間でもあったんです。覚悟を決めて、介護と向き合おうと決めました。

とはいえ、介護や認知症に対する知識はゼロ。何をしたらいいのかまったくわからなかったのですが、妻がさりげなくサポートしてくれました。認知症に関する本や映画などを紹介してくれて、それをかたっぱしから読んだり観たりしました。
── 映画や本を観て、学んだことはありますか?
山田さん:徘徊する母親を、娘が追いかけるドキュメンタリー映画があったんです。そのときに認知症の人が徘徊するのは、その人なりの理由があって、きちんとした決まりがあるんだと学びました。映画で学んだのは、認知症の人が徘徊しても怒ってはいけないこと。急に声をかけると「叱られる」と勘違いさせる可能性があるから、偶然をよそおって声をかけることでした。
母も認知症が進行してから、徘徊するようになりました。そのときに僕が最初にしたのは、声をかけず1~2メートル母の後ろからあとをつけて様子を見ることでした。これも映画で学んだ方法です。すると、道順に決まりがあることがわかりました。母がまだ若く、僕たち息子が子どものころ、買い物に行っていた道順だったんです。だから僕は先回りして、母が通るお店の前で待ち伏せしました。母が来たら「あれ、偶然やな」と声をかけ、一緒に帰るようにしていました。
── お母さんの行動をよく見ていたのですね。
山田さん:あるとき、母はいつもとは違うルートを徘徊しました。びっくりして後を追うと、母はバスに乗ったんです。よく観察すると、僕に背格好が近い人を追いかけていました。その人と僕を間違えていたようです。
認知症は、さまざまな原因から引き起こされると思います。でも少なくとも、僕の母の場合はさみしさが要因のひとつになったのではないかと感じます。やっぱり父を亡くし、孤独感を抱いていたのでしょう。母に介護が必要となってから、僕は全力で向き合ったと思います。病気が進行すると、母は記憶をだんだん保てなくなっていきました。それでも僕が大阪に戻ると「よく来たね」と迎えてくれたんです。
母は2023年に亡くなりました。もちろん大変なこともありましたが、最期まで介護ができてとても幸せでした。かけがえのない思い出をたくさん作れました。こう思えるのは、妻の「やるべきことにきちんと取り組んだほうが、お義母さんが亡くなったとき後悔しない」という言葉のおかげです。そして、デイサービスのスタッフさんなど、たくさんの人たちの力を借りながら、「悔いのない介護」ができたと思っています。
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「物忘れひどいな」と思っていたら、認知症が進行していて介護が必要になった母を見てきた山田雅人さん。妻のアドバイスや書籍やドキュメンタリー映画から、介護を学び実践しました。ときには手をつなぎ、ときには映画を一緒に観にいき、人間の尊厳に向き合いました。
取材・文/齋田多恵 写真提供/山田雅人